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ブログには何度も書いているのですが、だいぶ以前にお酒をやめました。

 

かれこれ4年くらいの時がたちます。

 

理由は、勤め人をやめて何かをやろうと決めてから、お酒はやめたほうが良い気がして、そこから禁酒や断酒を意識し始めました。

 

最初に、自分とお酒の付き合いの歴史を述べ、その後に禁酒や断酒の方法を書きますね。

 

東京生まれ東京23区の団塊ジュニア世代の私は、中学、高校時代から飲酒が特別なことではありませんでした。

 

東京23区育ちといっても山手線の〇(まる)からは出た、江戸ではない場所の育ちだったので地域の特徴はあったかもしれません。

 

中学時代は(中2と記憶している)地域の公民館をクラスの中心人物である男子の誰かが借り、クラスメイト全員参加で(おちゃらけな人達から成績優秀者達からおとなしい人達からヤンキーまで様々)、学期末飲み会を行ったり、高校に入ると、体育祭や文化祭の打ち上げ、学期末飲み会、他校との交流会での飲み会、あたりまえのことでした。

 

中学の時は、クラスで一番の成績優秀者が悪酔いしてしまい、新学期あけの第一回目の保護者会で、彼のお母様が「公民館での飲み会を禁止に!」「うちの息子が大変な状態で帰宅した!」と担任や保護者たちに訴えたのですが、何せクラスの全員35-6名が楽しんでしまった会、保護者会の日は、各自こっぴどく親達から叱られるのですが、またその学期末も開催ということになります。

 

〇〇君気をつけて~と、男子も女子も彼のことを心配しながら私たちは飲み続けるのでした。

 

通っていた都立高校、というよりも当時の都立高校は全体的に「無法地帯」、学校側も各校の体育祭や文化祭の打ち上げが行われる時期は、繁華街で取り締まりを行ってはいましたが、かたちだけのところがありました。

 

また、学区制、グループ制の時代の都立高校は、今のようにインターネットはもちろん、携帯もポケベルもない、コードレス電話が各家庭にあるかないか、ファックスも自営業の家か家電メーカー勤めのサラリーマン宅以外はない時代、中学までのネットワークで他校の情報もすぐに入ってきていたので、都立高校職員対策も万全ではありました。

 

たまに失敗して停学になる同じ学区内の都立高校の生徒たちもいましたが、私立の坊ちゃま嬢ちゃまの不良たちがお酒以上の何かを使用してどうかなることにくらべれば、当時の都立高校の生徒の行動はかわいいものではありました。

 

渋谷の[ラスカラ]というディスコにも行っていましたが、高校生が行くディスコにはお酒が用意されていなかったはずで(フルーツポンチしか覚えていない)、今思えば大変健全な遊び場でありました。

 

西暦のお正月元旦には、自宅でアルコールの一種であるお屠蘇をいただくことも普通でありました。

 

21世紀となった現在から過去を見れば、保護者が幼児ないし未成年者にアルコールを飲ませるのもおかしな話しです。

 

お屠蘇であってもれっきとしたアルコールです。

 

お屠蘇以外の、十代なりの交際としてお酒を飲み始める前後には、今でも続く疾患や難病を発症します。

 

幸いにして、飲酒によってメインの疾患である難病の症状が出ることは全くありませんでした。

 

しかしながら、お酒全般で当然ながら「酔う」(ほろ酔い含む)、飲みすぎで「もどす」、赤ワインを一人で一本半くらいあけても全く酔わずケロッとしている「異常事態」、火酒の類は「胃痛を起こす」、白ワインで「蕁麻疹が出る」「悪酔いする」「血糖値をおかしくさせ倒れる」(白ワイン以外でも、白米や玄米や蕎麦やライ麦やさつまいもや果物でも同じようなことがおきていました。のちに、いくつかの検査を行った結果、反応性低血糖症と診断されます)、そんなことが起きるので、お酒は普通の飲み物ではないナイ無い……と思いながら、大学時代、社会人、と時が過ぎ去りました。

 

こんな私もアルコールを卒業しようと決意します。

 

世の中のまともな大成功者は、飲んでいるふりをしているか、酒豪だったのに経緯があって断酒したか、どちらかということがわかったからです。

 

サラリーマンをやめるからにはそこは意識したいと考えました。

 

しかし、完全断酒ができるのも、サラリーマン生活が終わって少したってからのことです。

 

アルコールを断ち切るのは本当に大変なのです。

 

アル中ではないものの、もしかしたらプロの手を借りればよかったのかもしれませんが、お酒を飲む環境が子どもの頃からあったにせよ、自分の意志で飲んでいたわけですから、自分の力でやめたかったのです。

 

さて、ここからは、断酒、禁酒、で検索をしてこの投稿にきてくださった方はお待ちかねの内容です。

 

先に申し上げますと、お酒をやめるには「今日から永遠にさよなら」「来週末からさようなら」は難しいと思います。

 

時間がかかります。

 

私などは数年もかかりました。

 

では、その方法を書きます。

 

1) 未来に危機感を感じるようにして、副業を始め、メインの労働や仕事の後に忙しく過ごす

副業は、時間を提供して行うことでも、資産を生み出すことでも、複利を利用することでもなんでもよいと思います。

 

2) 副業で小さな目標を作り、その小さな目標を達成するまで禁酒する

一か月、数か月、半年、一年など、期間を決めます。

一週間に一度でもお酒を大量に飲んでいた人なら、目標達成し、数か月後にお酒を飲んだ時は、少ないお酒で満足できることに気が付くでしょう。

 

3) 副業で目標達成した際は、バーなり販売店で高いお酒を現金利用でオーダーなり購入する

お財布サイドからも、少ないお酒で満足ということを頭にたたきこみます。

クレジットカードより現金利用のほうが高価を感じやすいです。

 

4) 儀式やお祭り関連の書物を読み漁る

古今東西、太占の時代からの、お酒を提供する側の意図を把握します。

読書は「本を所有」することではなく「本を読む」ことなので、所有にこだわってはなりません。

儀式や祭りでお酒を提供する側の意図とその「所有」も大きく関係しています。

図書館利用がよいです。

また、当時の私は行いませんでしたが、ここに時間と暦と時計の歴史がわかる図書を読み漁る、ということも加えますと、さらに儀式や祭りでお酒を提供する側の意図、それから所有の意味の理解が深まります。

また、高級時計ではなく、超が五つくらいつくほどの男性が身に着ける最高級の腕時計をウィンドウショッピングし、店員さんから時計のお話しを伺うことをおすすめしたいと思います。

一見、禁酒と断酒と関係ないようですが、時計というロマンが教えてくれることがあります。

 

5) 広告代理店の歴史を知る

大手広告代理店の歴史がわかる書物を読み漁ります。

禁酒や断酒を手伝う情報を仕入れることができます。

 

6) 1)から5)を中期的に繰り返す

昼間の労働や仕事、副業とそのための勉強、4と5を行う、同居人や家族や友人との付き合い、をバランスよく行おうとしますと、必ずや酔う時間が惜しいと感じるようになります。

その上、あんなに強かったのに、ざるだったのに…、お酒がとても弱くなっているはずです。

このあたりで火酒をショットで何杯も飲むとたちまち急性胃炎を起こし、アルコールよ永遠にさようなら、という流れになります(私の場合)。

 

以上です。

 

現在は、ソフトドリンクで人生を楽しんでいます。

 

また、お酒をやめると、酒場に行っただけで酔ったような気になる、隣の人が食べるお酒入りのお菓子にクラクラする、といった現象が起き、アルコールにとても敏感になります。

 

意外なことに、お菓子に入っているお酒は、酒場で感じるアルコールよりも強烈で、倒れそうになるので、公共の場所(人々が気軽に飲食する場所)では注意を払うようにしています。

 

 

最終更新 02/08/2019 23:55

 
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