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おかしい、不愉快、と思ったことは、その場で、「なぜ?」や理由を訊かない限り、相手が、社会的立場が高かったり、有名だったり、雇用主だったりする場合は、そのままその人のペースで事が進んでしまうことは多いのではと思う。

 

特に女性は。

 

おかしい、不愉快、とすぐに表現できない理由は、何かの呪縛、それはその人が持つ思想がそうさせていることが原因としか私には考えられない。

 

現状の見解だと、この世の人間社会は、子どもを産む生物的機能がない故に、自分自身のコミュニティが作れず、だから支配によって自分自身の所有物を持ちたいという雄が便利なように構成されている。その社会が当たり前だと思っていると、雌は自分の素直な気持ちを押し殺してしまう。

 

私は女性だけど子供がいない。しかし女と男が違うとは、妹が生まれる頃にはわかっていた。自分は「私の」お腹から子どもを産める可能性の高い雌だと自覚した。

 

男が主人になる歴史が長い家で育った父と、代によってしばしば女が主人になることが多くなる家で育った母は、根本が異なり諍いが多かった。

 

長女の私は母親の実家の影響をもろに受けており、苗字を引き継ぐ者がこの世で一番強い立場にあるということが知らず識らずのうちに自分の中に埋め込まれていた。こういう人間が、集団生活になるとさあ大変。

 

小学生の頃から、男が主人の家で育った子ども達の中で過ごすのは一苦労。オンナの子もオトコの子も女はこうすべきということが固まっていた。男子から「女のクセに」と言われ、時に「生意気だから」という理由で決闘を申し込まれることがあった。

 

私は第二次ベイビーブーマーであるけど、もしこの投稿を読んでいる方が大分お若い方だったとしたら、この世代はジェンダーに関してはコンサヴァが多いということは頭に入れておくとよろしいかと思う。

 

後に社会に出てから男子が男性になっても「女のクセに」「女なのに」はずっと続いた。

 

同時に、男性によるセクハラ発言や女性蔑視発言とその行動を受け入れないことに納得いかない女性との戦いも勃発した。彼女たちは男性に従順であることが女性のあるべき姿と信じている人達だった。

 

言われてもいじめられても涙を流しても生きてこれたのは、やっぱり母方の家の先祖の女性達の強さがベースにあるからだろう。私にとっての当たり前だから。

 

日本人だから「家」を大切にするというのは全く違っていて、外国人で関わった男性たちの全員が一見紳士(そうでない人間もいたけど)、しかし、彼らは、結婚こそが幸福の象徴であり、男の苗字が女の苗字に並ぶことや男の宗教に女が合わせることが幸せ、子どもは結婚した両親の元で生まれなければ幸せでない、子どもは両親が揃っていないとよくない、と思い込んでいた。

 

私の考えと全く一致しない。

 

相手が人が羨む金のある人間でも、所有物になるのはまっぴら御免と、自分の中で結婚という言葉は他人のものとなった。私自身が誰かを所有するのも勘弁と思った。

 

他人は、結婚制度に乗っ取って結婚していく。日本人も外国人も。

 

それでも、#MeToo 運動が相次いで起きているということは、やっぱり所有欲と支配欲が作った社会の歪みなんだと思う。

 

この波は、何かの仕掛けであることは間違いないはずだが(例えば、近い将来どこかの国の大統領が、性的な被害を受けた経験をカミングアウトしている女性になるとか)、それでも女性たちが目覚めてしまったのは確かなのだ。

 

ここまで書くと、私自身が性被害を受けたことがないから強いことが言えるんだと思われるかもしれないけど、そんなことはない。

 

小学校二年生の時、学校に行く前の朝のマラソンの帰りに怪しい男に股間を触られたことがあった。マラソンと言っても、父の仕事の関係で住む集合住宅の駐車場をぐるっと一周走ることで、ヴェランダから私の走っている姿は親も見られるのだった。

 

当時はその住宅の改装工事中だった。三棟あったうちの二棟の間を抜けて家に帰るのだけど、工事員の一人が近づいて、それをやった。改装工事中だから至るところにテントがあって、その場所は、もう一棟に住む人たちから完全に死角になっていた。

 

毎日同じ時間に走っていたからその男はチャンスをうかがっていたのだろう。

 

股間に手を入れられた時はよくわからなかったけど、時々住宅の公園に、この男とは別の明らかに住宅の人間ではない男が来ることがあった。たまに男の子にばかりまとわりつく侵入者もいた。住宅に住む近所の大人たちが、あなたどこの方?と問い詰め、その場を去らせ、私を含む女の子たちに「女の子は要注意。ああいうよくわからない男の人に絶対に絶対について行っちゃダメよ」と言っていたことと関係ありそうなことだけは直感した。

 

今思えば、ある武道の師範だった父から(当時はまだ師範ではなかったかもしれないが)、少しだけその技を習っていたことがよかった。力を抜いてテコの法則を使うということが、力を抜いて油断させて逃げる、ということに繋がり駆け足で逃げることができた。護身になった。

 

母には近年までこの件は話さなかった。心配させてはいけないと思った。「心配させてはいけない」は気遣いでもあるけど子供にとって何かによる呪縛でもあった。ただし心の傷になっていないのは、私が幼児過ぎたことで、逃げなければ起きていたかもしれないことが、想像できなかったことが大きかったのかもしれない。

 

知らないと、どうにでもされてしまうということでもあった。

 

今後の私たち女性の教訓としては、女性と男性は全然違う生物だからわかり合おうという議論は無意味であって、女性自身が変わっていくことが重要だろう。

 

子どもの頃からあたり前に生活に取り組まれていること、思っていること、全てに一度疑いをかけて、徹底的に歴史を調べて強みにしていくしかない。失敗の経験を繰り返しながら。

 

それから護身術も必要だ。

 

私も、父からある武道の技を教えてもらっていたおかげで助かった。

 

故 斎藤澪奈子さんが著書『超一流主義』(1993年初版発行 マガジンハウス 刊)の中で、武道をたしなむ武家の女性は腕力に自信があるが、武道や刀の近い方に無縁なお百姓さんクラスの女性たちは「されるがまま」である、と言っていた。なるほどだ。

 

知力と同時に腕力(護身)は女性には必須。

 

加えて、この世が資本主義である以上絶対に忘れてはならないことがある。

 

商売をやる上で重要なことは「安く仕入れて高く売る」ことであって、原価の安いものとして、「その商売の構造がわかっていない者」、「華やかさに目がくらみやすい者」、「契約書を読まない者、読む努力をしない者、読めない者」、「法律をわかろうと努力しない者」、「拒否をしない者」も含まれる。

 

それ故に、仕事の話しはアルコールが入った場所ではなくシラフの状態ですべきだろう。お互い知り合った場所は遊び場でいいと思うけど、脳みそがおかしくなった状態で仕事の話しができる時代はとうの昔に終了したし、私の経験上、仕事飲みは、それが例え営業のための飲み会であっても、後の知力には何も繋がらず、儚く時間が排泄物となって流れていくだけだ。

 

新卒で入った会社の先輩、彼女は、某 旧帝国大学の法学と文学の学士二つ持つ、高校までは西欧暮らしだったという人であったけど、入社してすぐに私に言ってくれたことは「女性は法律を武器にするのです」と熱く語ってくれた。

 

このアドヴァイスも常に私の頭の中にある言葉だ。

 

ブロガー、選書家、音楽配信、書籍企画、外国企業からリモートで仕事を請け負う自由業(Webマーケティング、翻訳、コンサルタント・営業代行) / Plenitude Interactions LLC / 2017年秋より約20年ぶりに学生 / 虚弱体質(潰瘍性大腸炎 UC IBD 30年、ナルコレプシー、強膜炎) / HipHop / アフリカンアメリカン文学古書収集家でその手の本をたくさん所有する最小限主義者 / 読書は歴史、人文思想、経済、科学、テクノロジー、外国文学を中心にだいたい100冊以上、最近になりHow-To本も読み物に加わった / 元音楽レーベル&出版社勤め / アイコンは宇野亜喜良氏「妖艶な女帝」 /  お気軽にご連絡ください hello@plen-act.com (04/24/2018 最終更新)

 

 
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