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“Woman with Tambourine” by Pablo Picasso (1939)via navema さん

 

紙の年賀状をやめてから数年が経つのだが、私の周りには、きっちりと送ってくださる方達がいる。手書きの一言は温かみがあっていいものだ。

 

2015年の元旦には、ある人からも自宅に年賀状が届く。

 

その人とは、学生時代からの付き合いだ。

 

当時、私はあるバンドのマネジャーのお手伝いとして、クラブやライヴハウス、レコード屋にフライヤーを配布するということをやっていた。インターネットがない時代の音楽イヴェント情報伝達手段は、「ぴあ」と「City Road」と口コミと、そしてフライヤーだった。

 

もちろん、ライヴやイヴェントの受付や、ローディーのようなこと、打ち上げ時の会費の徴収なども行う。

 

その人は、女性シンガーで、歌もうまく、おまけにとてつもなく可愛いかった。英語で唄うということも特徴だ。

 

最初に見たのは、手伝っているバンドが新宿のロフトでライヴをやった時の対バン時だっと思う。こんな人がこの世にいるのかと驚いた。

 

高校を卒業した後に通う上級学校では、色々な地方から出てきた人達とふれあうものらしいが、私の通っていた大学は圧倒的に首都圏出身者が多く、東京生まれの私は、九州の親戚以外で、地方から出てきた人達に免疫がなかった。

 

語調が強いと感じられた徳島弁と関西弁が標準語であるバンドの手伝いで会場にいた、ただの二十歳の学生だった。

 

まさか、打ち上げの時に、その対バンの可愛いシンガーに話しかけられる心の余裕などはない。

 

2年と経たないうちに彼女は、音楽雑誌やカルチャー誌を賑わせることになる。誰が命名したかわからないけど、音楽シーンに「渋谷系」という言葉が生まれた。

 

世間の「渋谷系」はいわゆる都会的お洒落系である中、彼女も「渋谷系」にカテゴライズされる。

 

写真の彼女はとてもR&Bやヒップホップなファッションだから、同じく「渋谷系」と言われた野宮真貴とも違うし、カヒミ・カリイとも勿論異なる。なんで一括りにしていたのかは不明だ。渋谷でCDが売れたからなのか。

 

彼女の人気は留まる事を知らない。「ソウルフルな歌声」(まるでミニー・リパートンのようなのだ)、可愛い、発言が媚びてない、インディなのにCDは驚異的な売上。渋谷公会堂もワンマンライヴで埋め尽くすほどだった。

 

手伝っていたバンドのメジャーデビューが決まった。レコード会社もかなりの力の入れようで、デビューイヴェントは新宿のリキッドルーム、クラブで活躍している、ミュージシャンとラッパーとDJがゲストで勢揃いというかたちになった。ゲスト込みだが1500人が来場し、受付にいた私はてんてこ舞いで、記憶がすっぽりと抜けている。

 

その女性シンガーは、このイヴェントを含め、手伝っていたバンドのライヴにゲスト出演することが多くなった。何せ華があるし、踊りもうまいから、お客さんは盛り上がる。リキッドルームのイヴェントでは、私は受付にいたから見られなかったけど、ステージで赤いビキニ姿になったそうだ。

 

そのバンドの周辺には、MTV系のヒップホップやR&Bを熱心に聴く人もおらずで、次第に彼女とはアメリカのヒップホップの話しをする相手になって、移動時間や打ち上げ会場でおしゃべりをするようになる。

 

元々ロフトでライヴをやっていたような人達が聴くヒップホップは、アメリカの先をいくイギリスで評価されるアメリカのヒップホップが人気だったから、ミーハーな話しができるのはお互いに珍しく感じたのだと思う。もちろん、彼女も私もコアなものも聴いていたが。

 

後、彼女のバンドが解散しソロ活動を始めたと聞いた。ソロ第一弾のミニアルバムは、タイトルから中味からジャケ写まで、何もかもが彼女らしかった。

 

でも「渋谷系」を期待していた人も多かったのではないか。

 

彼女のソロアルバム発売から約2年後に、Misiaや宇多田ヒカルが、3年後にはDoubleがメジャーデビューし、ソウルフルな歌声だとか、日本人が歌うR&Bとか、そんなワードが特別なものでなくなった。

 

彼女の行動は全て早かった、というよりも早過ぎた。

 

それから10年近くは、人づてに彼女の話しを聞くだけだった。色々あったようだったけど、生きていたら何かはある。

 

2007年の秋口に、ふと思い立って、ネット検索をしたら、彼女が活動を再開し、ライヴをやっているというから、思い切って足を運んでみた。彼女節は昔と変わらない。そして、小さな会場でもお客さんがいる場所でライヴができるのは素晴らしいこと。歌声も変わらずだ。

 

ライヴが終わって話しかけてみた。最初はわからなかったみたいだ。彼女とヒップホップの話しをしている頃の私は、年中小麦色の肌、見た目はそれ系。10年以上の時が経ち、私もすっかり社会人らしくなっているから、彼女の顔の周りに疑問符がたくさん見えた。

 

手伝っていたバンド名と、よくヒップホップとR&Bの話しをよくしていた、と言ったら「あああ!」という感じ。音楽ってすごいね。過去の記憶を一気に呼び戻す。

 

再会以降の交流はここからだ。一度ゆっくりお茶を飲んだ。ライヴにしょっちゅう行くというわけではないけどたまに顔を出す。年に一回は長時間チャットをし、お互いのプライヴェート重要事項はこの時に話す。

 

2011年3月11日に東日本大震災が起きた。未曾有の大惨事を契機に、それまでの考えが一変した、もしくは、より一層強まったとか、選挙にも行ったことがなかったのに、政治に興味が出始めた人が一気に増えた。

 

そして右か左か、脱原発か推進か、自分の思想と反するものは排除する傾向も強くなっている。

 

有名人は叩かれやすく、2チャンネルからTwitterからFacebookまで、誰かが自分と異なる思想を発言した場合、糾弾の対象になる。その有名人に心があることを忘れて、匿名で徹底的に否定批判する。

 

皆、時間に余裕があるんだね、優雅ですね、暇人の皆様…。

 

昨年の9月の中旬、私はFacebookの個人アカウントを2014年内でやめることをFB内で投稿した。ここまで日本でも普通なSNSになると余計な情報が入り過ぎ、ミニマリストを目指す人間らしく連絡手段は少なく持つほうが時間の節約になると考えたからだ。

 

私は、政治批判を、SNSを含む媒体各種、デモなど、目に見える耳に聞こえるかたちで訴えるよりも、誰かの思想を批判するよりも、オイルショック以降主流のエネルギー批判するよりも、かといって新しいエネルギーマネーにのるよりも、ミニマリストというライフスタイルでいることを選んでいる。

 

自分と同じ考えの人は皆無だ。おまけに、皆でエイエイオーとやるのはスタイルではないから、あえて孤高の道を選んでいる。人は人、私は私。生活を変えなければ何も変わらない。Facebook退会もその延長にある。

 

退会のお知らせの投稿をして、真っ先にメッセージをくれたのは彼女だ。ネット上でトラブルが起きたんじゃないかと心配もしてくれている。Facebookを利用していた7年の間にそんなこともあったけど、辞める理由はそれとは無関係だ。

 

これまで自宅の住所同士のやりとりはしていたけど、改めて連絡先を教えてもらった。その時に、今後の彼女の活動についてを聞いた。

 

2ヶ月くらい経った11月のある日、Facebookのメッセージを見ようとするが彼女がいない。あれと思ってTwitterも確認するが、いない。共通のフレンドにも訊いてみるがやっぱりいないと言う。オフィシャルサイトも中味が消えた。

 

理由はわからない。でも、メールアドレスもわかっているし、住所も知っているから特には問題ない。便りはまた改めてと思っていたら、2015年の元旦に彼女から年賀状が届いた。幸せいっぱいの新年の挨拶。

 

彼女とは元Love Tambourinesのeliちゃん。

 

お元気そうです。

 

 

 

最終更新 08/15/2015 16:56

 

ブロガー、選書家、トランスクリプショニスト、書籍企画編集 / Plenitude Interactions LLC / 元音楽レーベル&出版社勤め / ミニマリスト / 在宅・ノマドワーカー / 女性 / 潰瘍性大腸炎(IBD)歴29年 / お気軽にご連絡ください hello@plen-act.com

 
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