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読書は自分にとっての情報の源であるし日常生活に組み込まれている行動です。

 

書物の幅も広いので、ここでは書籍だけに限定します。

 

私の場合、出版社発行経由の著者の電子書籍は毎日最低一冊は読み、紙の本は時間的に切羽詰まっていない時以外は積極的に読みます。

 

読書の楽しい点は、当然ながら新しい情報に出合えるからであって、その情報によって、想像や時に妄想ができること、ノンフィクション・フィクション、人文、科学、趣味性の高いジャンルまで、ある何かしらの情報が「自分の生活(=仕事や労働)に取り入れられるか」ということを検証し、実行に移せること、自分が疑問に思っていたこととは全く関連性のないジャンルの書物にその答えが書かれていた時の喜びを得られること、ざっとあげるとこんなところでしょうか。

 

読書をしているからといって、私が病気をしない身体をもっているかとか、大金持ちかと言われたら、そうではありません。

 

他の読書好きな人達も同様です。

 

しかし、だんだんと年を重ねてわかったことがあります。

 

40前後過ぎくらいからかその人の人生が文字を追っていたかどうかが一気に顔に出るのだなということ、また、読書が生活に馴染んでいない人達のコミュニティは、巷で言われるマウンティングと嫉妬がひどいこと、こんなことを感じるようになってしまいました。

 

読書が生活に馴染んでいないとは月に5冊以上読まないことです。

 

本を「購入」するのではなく、本を「読む」冊数が5冊です。

 

文字を追った顔つきに関しては、筋肉体力、所作、美貌、技術技能と同様に、一日二日では絶対に変えられないことがあると身に沁みて感じ、マウンティングは、「名」と「他者」に拘るからこそ出てしまう依存がベースにある行動と分析しているので、時々たまたまそういうコミュニティや人に接すると、つまらないは、疲れるはネガティヴな感情だけが沸き上がります。

 

なぜなら、彼女彼らは、考えることより、他者が製造したまたは宣伝した「名」が大切なのですから。

 

書籍の読書量は人付合いに役立つバロメーターになりますので、新しく知った人にこの一か月に読んだ本の冊数やタイトルを訊けば、今後の付き合いにおいて、余計な体力を使わず、大切な時間を無駄にすることはありません。

 

個人的には、読書習慣は子どもの頃にできるものだと考えており、私は親に対してそんなに感謝している事項が少なく、むしろ恨みつらみが多いほうなのですが(!)、本を読むという行為に関しては、親自体が家庭でその行動をとっていたことで、読書が特別なことではなくこの年までこられました。

 

三つ子の魂百まで、とはいったものだなとは思います。

 

同世代のおばさんおじさんの本好きな人に訊くとみんなそんな感じで、親の行動と環境が大きい。

 

そしてこの人達の特徴は他人と自分を比較をしない人が圧倒的に多いです。

 

想像力の中で生きているからということもあるでしょう、人をマウントする必要がありません。

 

昭和四十年代の後半生まれ、育った環境の経済格差、出身地がみやこであろうと地方であろうと、さまざまですが、私たちには、知と情報の宝庫である公共図書館という味方がその時代にも存在していましたし、もちろん学校図書館ありました。

 

人生をマイペースで進むには読書はいいですよ。

 

 
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2017年5月23日から2018年6月までに完了予定で行っていたメニューバーの大工事が2018年5月23日をもって終了しました。現在は、長期に渡って、音楽 / 映画 / 写真 / 美術 のメニューバーの工事を行っております。よろしくお願いいたします。