朝起きてやることの一つが、コーヒーをいれることだ。豆の銘柄よりも大事にしていることがある。
好みは、ドイツの普通のスーパーで売られているコーヒーや、昔の珈琲館のブレンドの味だ。そのあたりの話はいつか書くとして、私が求めるのは、とにかく苦くて渋い味だ。
スーパーで売られている、苦みの強い、しかも粉になっているものを買う。おいしいとされるコーヒーの入れ方は、ソーシャルメディアで次々と流れてくるけれど、正直時間がかかる。そういった入れ方をしたコーヒーは、お金を出して専門店で飲んだほうがいい。
代わりにやっていることがある。8年か9年前、大学病院の待合室のテレビでNHKが流れていた。コーヒー好きの女優さんが出ていた。こだわりなどを話していたのだが「とにかく心をこめていれます。おいしくなりますように」というようなことを言っていた。
このやり方を取り入れることにした。
お湯を注ぎながら、「おいしくなりますように」と念じる。そうすると、あら不思議。本当においしい。一方で、この「おいしくなりますように」は意識的にやることなので忘れてしまう。これまたあら不思議。どこか物足りない一杯になる。朝から損をした気分になる。
いただきものの創業何十年になる有名コーヒー豆店や、チェーン店で扱う少し高めの豆ですら「おいしくなりますように」と思わないと、本当においしくならないのだ。精神論のような話だが、「おいしくなりますように」と思うことで、お湯の温度や注ぎ方、カップの温め方まで、自然とていねいになるのかもしれない。心をこめるとは、特別な技術ではない。ほんの数秒、「おいしくなりますように」と思うだけで、一杯は変わる。
私は今日も、その一杯から一日を始める。
