話したところで、今の迷いや戸惑いは伝わらないだろうと、自分の内側にだけしまってしまうことは誰にでもあると思う。私の場合は、毎朝の手書き日記にぐちぐちと書くが、解決できないことも多い。

人さまの仕事でのやり取り、画面の向こうで行き交うモヤモヤ、同じ場にいない人に説明することは難しいし、人に話したところで、いやな気持が2倍くらいにふくらむこともあるだろうし、守秘義務があって、どんなに近しい人にも話せない場合もある。

しかし、そんな話を、いつもの友達ではない人にしてみるのも悪くない。

たとえば、友達の友達くらいの関係の人に、流れでその話をすると、いい意見が聞けることがある。初対面のわりに失礼な本音である。

それから、飲酒をほぼしないが、酒場には行くので、いろいろ話が聞ける。

親しい人たちが集まる、その場にいたある職人気質の年配の中小企業経営者の男性に、以前、変な会社に関わろうとしていた時期の話をしたことがある。その人は、ひとこと、「その出だしが変なら、もう変だよ」と言った。それだけだった。だが、後になって振り返れば、まさにその通りだった。

あとは、今のようなデジタルでのやり取りが当たり前になった働き方を知らない世代の人たちだ。子どもの頃から知っている小母さんや、我が親もそうである。

我々団塊ジュニア世代は、もちろんそうではない時代も知っているからこそ、モヤモヤや怒りが生まれる。でも、少し話すと、「今はそういう時代かもしれないけれど、それはおかしい」と言ってくれることがある。それから「あなたが考えていることとは別の理由で、それが起きているのでは」と、同世代前後の近しい人たちとは異なる視点から一言をもらうこともある。

そのときの、非礼、同調、違う見方。話したときは、状況平行線であっても、一週間、一年、数年たって、その一言がようやく効いてくることがある。そして、 行動移せることがある。