最近の私は、風呂場にある、ふきん用のせっけんで体を洗っている。整髪料を多めにつけた日は、シャンプーの前にそのせっけんで頭まで洗ってしまう。

驚かれるかもしれないが、私には三十四年前からの伏線がある。学生時代にアルバイトをしていた喫茶店のご夫妻が、まさにそのやり方だった。夫妻は見とれるほど肌が美しかった。

二十歳からの数年間、一度お店を離れて再訪した時期も含め、夫妻の佇まいはずっと変わらなかった。世の中はバブルが弾け、じわじわと時代の空気が変わりつつあった頃だ。

当時、「無添加」や「オーガニック」という言葉は、今ほど身近ではなかった。自然食品や海外の硬水は、まだ一部の人だけが知る世界だった。だが、夫妻からは、何かを主張するような雰囲気を感じたことは一度もない。自分たちが心地よいと思う暮らしを、静かに続けている。

奥さんは、当時珍しかったフランス産の高価な硬水を日常的に飲み、ふきん用のせっけんで全身を洗い、ほんの少しの化粧水で手入れを終えていた。一方、高校生の頃から制服の威力を背に百貨店のカウンターでサンプルを集め、顔に基礎化粧品を塗りたくってきた私は、豊かな消費に浸りながらも、夫妻の飾り気ない削ぎ落とされた姿勢に憧れを抱いていた。

当時の私は、髪で遊ぶことに夢中だった。スパイラルパーマにコーンロウ。整髪料も惜しまなかった。そんな髪は、固形せっけんだけではどうしても洗い流しづらく、液体シャンプーが手放せなかった。ちょうどその頃、都市部の大型雑貨店には海外のハーブ製品が少しずつ並び始め、私もまた、新しいものを試す楽しさへと流れていった。

その後、出張の多い会社員生活を経て、十年前、誰にも会わない入院生活を機に、失敗続きだった何も塗らない美容法へ一気に舵を切った。

そして今夏、ふと風呂場のふきん用せっけんが目に留まった。包装を替えれば、高価な無添加せっけんと言われても信じてしまいそうな、四角い白いせっけん。久しぶりに使ってみると、肌は思いのほかさっぱりし、背中までつるりとしていた。

普段は、この七、八年、マルセイユせっけんを愛用している。その定番があるからこそ、今回のふきん用せっけんは、夏のさっぱり感を求めた一時的なブームで終わるのかもしれない。それでも、遠回りをした末に、結局、これが一番落ち着く、と笑えるのは、なんだか面白い。

三十四年前には続かなかった暮らしが、ようやく今の私にはしっくりくる。ささやかで快適な夏の答え合わせである。