十年前の刻み食と、最古の祈り(一/全二回)からの続きです。
入院する何年か前、イギリスの進化人類学者ロビン・ダンバーについて書かれた何かのアートか科学の記事で、「女性の最古の職業はシャーマンだった」という説を読んだ。その時は、「女性の最古の職業は売春婦」ではないのだな、と思った程度だった。
ところが、入院して、いつも食べ物のことを考える日々を送っているうちに、その話が腑に落ちた。
食を得られるかどうかは、天候に大きく左右される。現代ですらそうだ。大昔の人々なら、生きるために必死で祈ったはずである。その祈りを司る人が特別扱いされたとしても、不思議ではない。食べられなければ、何も始まらない。
そんなことを考えていた私は、飢えた身体で、今度は「何かを作りたい」という欲求をノートにぶつけていた。絵を描いていた。これも、食の次に出てきた欲だったのかもしれない。
そして、身体が元気になってくると、もう一つの欲が出てきた。
噛みたかった。
刻み食をありがたくいただきながら、歯と顎は別のものを欲しはじめた。レタスが食べたい。わかめを噛み締めたい。この時に、自分はレタスが好きだということに気がついた。
退院が決まってから、院内のリハビリに通った。筋力は80代よりもないと言われた。身の回りのお世話をしてくださる職員の方からは、「退院してからがスタートですよ」と声をかけられた。
その言葉の本当の意味がわかったのは、家に着いてからだった。病院では車いすで移動していた人間が、これからは自分の足で歩かなければならない。
帰宅する前から、母にはレタスとわかめを用意しておいてほしいと頼んでいた。やめたほうがいいんじゃないの、と言われたが、どうしても食べたかった。退院した日だったか、そのすぐ後だったかは、もう覚えていない。
ボウル一杯のレタスとわかめ。何をかけて食べたのかも覚えていない。シャキシャキ、ザクザクと、音がした。自分の歯で葉を噛み切り、顎を動かして、レタスとわかめを噛み締める。刻み食にするのは自分の顎と歯である。本当においしかった。
今も、小松菜や水菜を中心にしながら、レタス類も食べている。
食べ物には、味や栄養だけではないものがあるのだと思う。歯を使う。顎を動かす。葉や海藻を噛み切る。口の中で小さくして、飲み込む。
ボウル一杯の葉野菜を噛む時、噛めるうちは、噛んでいたいと思うのだった。
