昔からの持論がある。自分にとってのいい話は、起きてすぐに人にしないほうがいい、ということだ。
ここでの、いい話というのは、有形無形の資産につながる何か。あるいは、資産そのもの。それから、お金では買えない、重みのあるものごとである。
世間では「悪い話はしないほうがいい」とよく言われる。でも、経験上、それよりずっと上位にくるのが、「いい話をしないほうがいい」である。
自分の人生を振り返っても、周りを見渡しても、同じ結論に行き着く。うっかり口にしたことで、痛い目を見る。子どもの頃から、自分のことをあまり話さずに生きてきた私ですらそういうことが起こる。
周りのプチ成功者にも、うまくいっている話やいい話ほど、他言しないと言っている人たちがいる。亡くなった人からも、同じ話を聞いた。
人生経験を積むと、結局、同じところにたどり着くものらしい。それは、成功者とされている人でも、普通の人でも変わらない。
一定数の人は、マウントを取りにくる。子どもの頃からの性格で、悪気はないのかもしれないが、結果としてそうなる。
厄介なのは、どこか似たものを持っている人だ。同じではない、少し形が違う。そして、その少しの隙間に、嫉妬や羨望が滑り込んでくる。せっかくのいい話が、口にした途端、比較や値踏みの材料に変わる。
最近、湊かなえさんの『境遇』を読んだ。人と人との距離について考えてしまった。
伏せるというのは、楽なことばかりでもない。相手が、自分のことをどこか下だと思いながら話してくることがある。そういう時、こちらは黙って聞く。
いいことというのは、10年くらい経って、まだ続いていれば、本当にそうだったということになる。だとしたら、そのときに話せばいい。
今はどんなことでもSNSに載せる時代だ。人のマウントも可視化され、追いかけやすくなった。誰が何に反応するのかも、昔よりよく見える。
もっとも、私自身は、SNSを積極的にやる余裕もなければ、友達にたまにコメントする程度である。
