2013年に出版社を退職する前後のことだ。ふと、グローバルな視点で考えたとき、「日本語のネイティヴであること」は、一つのスキルになるのではないかと思いついた。

その発想のまま、イギリスの求人サイトを覗いてみた。すると、とある英語圏の企業で、日本語ネイティヴ向けの業務委託の募集があった。海外事情に詳しい友人にその会社のことを知っているか尋ねると「怪しい」と言われた。けれど、すぐに登録し、音声データの書き起こしなどの仕事を引き受けた。当時のその企業は羽振りが良く、単価も現地の通貨でそれなりに支払われた。ただ、仕事は数週間で終わる単発のものが多く、年間の収入はわずかなものだった。

転機は2016年だ。私は長期入院を余儀なくされ、退院後もほぼ介助が必要な生活を送っていた。ようやく歩けるようになり、身の回りのことや家事が少しずつできるようになったものの、働ける状態にはほど遠かった。強いステロイド薬の副作用で、気だけは無駄に大きくなっていた。焦って雇用の仕事を無理やり決めても、体がついていかずに外で倒れ、見ず知らずの人たちに多大な迷惑をかけてしまうこともあった。

もともと、15歳で難病を発症した頃には、自分はもう、社会の厄介者なのではないかと思うようになっていた。そして、日常生活を送れるようになっても、その後も副作用は次々と現れ、働けず、人の手を借りなければ生きられない自分が情けなかった。恐怖と焦燥感に駆られた私は、アメリカにある同じ疾患の団体のサイトへアクセスした。そこなら、病を抱えながらでも国境を越えてできる在宅の仕事の何かしらのパイプや情報があるのではないかと直感した。 

読みは当たった。イギリスの求人サイトで見つけたような、世界中から人材を集めるグローバル企業は他にも存在していたのだ。

私はすがるような思いで登録し、自分に合う仕事を手当たり次第に請け負った。しかし、海外の仕事は甘くない。彼らの基準は厳しい。高い精度を維持しなければ、事前のテストも受からず、プロジェクトが始まってからでも容赦なく切られる。成績が落ちれば即座に契約終了という厳しい洗礼も浴びた。

だが、そのシビアさが逆に私に火をつけた。「もっとコンピュータを、通信の仕組みを深く理解しなければ生き残れない」。それは、2012年に始めたウェブの勉強への情熱が、より実戦的なものへと進化した瞬間だった。

今や、外国の企業が募集する仕事の情報は、日本語でも簡単に手に入る時代になった。パソコン一台で、ドル建ての報酬を得ている人たちも、ひと昔前に比べればはるかに多いだろう。

あの頃、必死に画面にかじりついていた私にとって、海を越えたその仕組みだけが、唯一の救いだった。