怒るのは、とにかく体力を使う。だからここ十年ほど、私のスタイルは、流すことだった。

若い頃を思い返せば、穴があったら入りたい失敗ばかりだ。怒ってばかりで、血の気も多かった。思い出すたびに気恥ずかしくなるようなことも少なくない。もうあの頃には戻りたくない。過去ではなく、未来へ進むしかないのだから。

病と向き合い、副作用に耐え、ただ息を潜めるように暮らしていた時期を経て、少しずつ身体を取り戻してきた。

すると、ある日ふと気づく。元気になると、怒る体力まで戻ってくるらしい。

今月に入ってから、理不尽なシステムと大きな組織に振り回され続けていた。以前の私なら、「大人の対応」という便利な言葉で自分を納得させ、小さな怒りを心の底へ沈め、そのまま流していただろう。

しかし、受け流した怒りは消えてくれない。静かに積もっていくだけだ。流し続けるのは、もうやめよう。力を取り戻した今の私には、怒る力も、抗う力もある。とはいえ、本当の怒りを形にするのは途方もなく骨が折れる。

感情をそのままぶつけても伝わらない。何に怒っているのかを整理し、事実を並べ、相手に届く言葉へと言い換え、文章として組み立てていく。

気づけば、半日近くキーボードを叩き続けていた。ヘトヘトだ。しかも全部、英語だ。

それでも、今は少しだけ心強い。

手元のテクノロジーが、感情ではなく論理として文章を組み立てる手助けをしてくれる。結果がどうなるかは、まだわからない。文章を送り終えた今も、身体は疲れ切っている。それでも、後悔はない。

理不尽をそのまま飲み込まず、自分の言葉で向き合った。そのために使った体力なら、惜しくないと思えたからだ。

怒ることにも体力がいる。

昔は、その体力を怒りにばかり使っていた。UCが再燃してからは、その体力さえ失い、怒ることより、生き延びることを優先する毎日だった。

怒りは大人げないことではない。自分を守る力が戻ってきたということなのだ。生きる力は、怒る力でもあるのだ。