子どもの頃から、我が家の食卓には当たり前のようにぬか漬けが並んでいた。母が毎日、ぬか床から上げていた。私は、きゅうりの古漬けが大好きである。
ある夏、両親の郷里である長崎と大分へ、家族で帰省することになった。留守の間、母は官舎で親しくしていた近所の人に、ぬか壺の世話を頼んで出かけた。私の幼なじみのお母さんでもあった。
一週間か二週間ほどして東京へ戻り、母がお土産を手にお礼へ伺うと、思いもよらない話を聞かされた。そのお宅は、急に山形の実家へ帰っていたという。
では、我が家のぬか床はどうなっていたのか。
小母さんは、壺ごと車に積み込み、山形まで連れて行ってくれていたのだった。ご実家でも毎日かき混ぜ、帰りの車にもまた一緒に乗せてくれたそうだ。
今思えば、当時の車は、全く快適ではなかったはずだ。それでも、母から預かったぬか床を連れて行ってくれた。その話になるたび、母は今でも「本当に申し訳なかった」と笑う。
几帳面な母でも、ときにはぬか床をだめにしてしまうことがあった。だが、一から作り直すことはしない。贔屓にしていた新宿の百貨店の漬物売り場へ行き、顔なじみの店員さんに「少し分けていただけないかしら」と頼んで、熟成した種ぬかを分けてもらう。もちろん、ぬか漬け以外の漬物も買っていた。そんなやり取りが自然に成り立つ時代だった。百貨店は、まだ庶民のための店だった。
一人で暮らすようになり、いつの間にか、あの匂いは食卓から消えていた。時おり、無性に食べたくなって八百屋やスーパーで買うこともあったが、子どもの頃から当たり前にあったものが、思いのほか高いことに気がついた。
そんなわけで、去年の夏、ようやく私もぬか漬けを始めることにした。近所の自然食品店で、母が使っていたのと同じぬかを見つけ、種ぬかなしで始めた。
問題は、容器だった。実家にあったような大きな壺は、一人暮らしの身にはあまりに大きい。ネットで調べると、ホーローに入れて冷蔵庫で管理している人が多いようだった。
だが、毎日手を入れるものだからこそ、気に入った器を使いたかった。古美術店を何軒か覗いて歩き、ようやく出会ったのが、白地に濃い藍で梅の枝と人物が描かれた、茶道具の水指だった。「ぬか漬け用なんです」と話すと、店主は少し笑って、勉強してくれた。
あれから、まもなく一年になる。月に二度ほど新しいぬかを足しながら、味もすっかり落ち着いてきた。今の季節なら、ゴーヤやナスを放り込んでおく。水指の蓋を外し、野菜を取り出す。その一連の動きが、いつの間にか私の日常になった。
思うようにいかない日もある。そんなときでも、底からゆっくりとかき混ぜていると、今日の暮らしを育てている気持ちになる。
ぬか床は、急かしても育たない。それでも、手をかけた時間は、味になって返ってくる。それが、私に明日へ向かう力をくれている。
