私の食事に小松菜が欠かせない。毎日300グラムの野菜を摂るが、今はその大半を小松菜が占めている。
この野菜を口にするようになったのは、30数年前のことだ。それまで、私にとって小松菜はメジロの餌だった。
実家には、東日本大震災の翌年ごろまで、常にメジロがいた。竹かごに入れ、姿と鳴き声を愛でる。逃がしたり、逃げられたり、また買ったり、あるいは捕らえたりした。かごの中の代が変わっても、メジロのいる生活はそこにあった。
主食はすり餌である。父の郷里で、祖父がやっていた方法を父が引き継ぎ、私たちも当たり前のように手を動かした。普段は水だけを混ぜていたが、余裕のある時は、メジロのために育てていたベランダのプランターから、小松菜の若芽を摘んですり鉢でこぎ、その汁をすり餌に混ぜていた。私が小松菜を主食として口にするようになってからは、冷蔵庫から。ごちそうを与える時は、ゆで卵の黄身をティッシュに挟んで油分を取り、すり餌に加えた。時々のおやつには、浄土真宗の僧侶をやりながら養蜂もやっていた祖父のお弟子さんが作るはちみつを、水にとかしてやっていた。
30数年前、歯科衛生士の知人から、ほうれん草を控えるよう言われた。歯の裏に汚れがつきやすく、結石の原因にもなるという話だった。ほうれん草は、もともと好物ではなかったため、食べるのをやめた。同時期に、小松菜を主食にという考え方に出合い、母親には小松菜をリクエストした。
お皿の上の緑を見て、メジロの餌だと思った。家族全員が、メジロの餌だと言った。
かつてすり鉢ですり潰していたものを、自分の口に入れている。メジロのための栄養を、自分の血肉に変えている。祖父から父へ、そして私たちへと作業として引き継がれたメジロの青菜は、30年以上の時を経て、私の体を動かす燃料の一つになった。
