日銭稼ぎのために仕事を請けることがある。半分くらいは、斡旋業者に登録してのものだ。私のキャリアでは案件につながりにくいのか、あるいは年齢の壁か、エントリーしてもシステムにはじかれることが増えた。閉鎖的な登録ページに自分の経歴が並ぶのを見るのは、気分のいいものではない。

出版社で正社員として働いていた頃までに、雇用の立場でできること、やりたいことは、一通りやらせてもらえた。オーナーたちの懐の深さには今でも感謝している。当時の同僚や先輩、後輩たちとはいまだに交流が続いている。また、別の会社での上司や同僚たちとも、道端でばったり会えば、さも毎日一緒に働いているかのように弾んだ話ができる。尊敬できるオーナーのもとで働くとは、こんな財産を遺してくれるものなのだとよく思う。

だが、斡旋業者が介入した世界は少し勝手が違う。熱心で素晴らしい担当者もいるが、首を傾げたくなる人にも出会う。

ある案件で、忘れられない出来事があった。 

私の経歴がマッチしたというので、斡旋業者の企業担当者二人、それぞれと面談をした。トータルで1時間15分。そこで開示された業務の詳細は、私にはとてもではないが務まらないと思えるほど、高度な専門性を要するものだった。

数日考え、社内選考の段階で辞退を申し出た。すると、担当者から引き留めにあった。「やる気があればできます」「コミュニケーションがとれれば大丈夫です」「人柄が求められているんです」と、精神論が返ってくる。 その分野の基礎的な専門用語をいくつか投げかけてみたが、担当者は話を逸らした。思い切って、その分野の実務や勉強をされたことはあるのですかと聞くと、「全くありません」と言った

合点がいった。理論や知識だけがあっても、手足を動かさなければ仕事にはならない。そして、その理論すら、本を読み、手足を動かし、また本を読む。そんな泥臭い往復の中でしか身につかない。楽器は触らなければ奏でられないし、お茶も道具を手にしなければ点てられない。背伸びをしてやる気でできる仕事と、それが許されない世界はあるのだ。後者の場合は、辞退するのがマナーなのである。

法律や倫理、組織の決め事を守るのであれば、極端な話、性格が暗かろうが人柄がどうだろうが構わない。現場が求めているのは、実際に動ける人だ。

私の周囲でも、働き手からも企業からもミスマッチの話を耳にする。今回はミスマッチの原因を見たような気がする。少なくとも、その担当者とのやり取りでは、そう感じた。

その電話は44分続いた。私に残ったのは「やる気」と「できる」は違うという、当たり前の事実を改めて確認したことだった。

近いうちに、この仕組みに違和感を覚える理由について、もう少し掘り下げてみたい。