インターネットもソーシャルメディアもない時代、ファッション誌の存在は特別だった。作り手たちの育ちや経済的な階層は、誌面にも自然と映し出されていた。
読者モデルには、そうした家庭や、戦後に成功したお宅の血筋の子女が、学校名を出して登場していた。ダブルインカムが全く普通ではなかった時代、お父さん一人の経済力だけで、子どもを小学校や中学校から私立へ通わせる家庭は、特別中の特別だった。私が見てきた範囲では、大企業から中小企業まで、企業オーナーや自営業や文化人のお宅、あるいは、祖父母の代、それ以前から東京とその近郊で暮らしてきた家庭の子どもが多かった。
私が育った東京城西地区の公立学校では、クラスの2割に満たないくらいの女子たちは、中学生のときは「オリーブ」「mcシスター」「ジュニアスタイル」「アンアン」を読み、それらは、その子たちの間で回し読みされていった。高校生になったら、これらをチェックして「JJ」を読み、卒業したら、さらに「クラッシィ」か「ヴァンサンカン」が加わるコースが王道であった。競合誌もあったけど、当時は、これらが一流誌という位置づけだった。バブル期に創刊された「ヴァンテーヌ」は「クラッシィ」か「ヴァンサンカン」の前に入るかもしれない。私の場合は高校時代に「ポパイ」と「ホットドッグ・プレス」が加わった。
こうした雑誌文化に触れやすかったのは、出版や流通が首都圏に集中していたからだろう。地方では、同じ雑誌でも発売日や入手のしやすさに差があることを、後に出版社で働くようになってから知った。
令和になった今でも、出版社が作るファッション誌には知性がある。もちろん当時もそうだった。編集部には、雑誌を入口に本へ読者を導こうという考えもあったのだろう。私が山田詠美さんの作品に出会ったのも、マガジンハウスの「オリーブ」に連載されていた『放課後の音符』がきっかけだった。以来、今もずっと大好きな作家で、サイン会にも何度も足を運ぶほど夢中になった。
中学時代から読んでいたファッション誌からは学ぶことがたくさんあった。私は、ファッションセンスは親の影響が半分以上だと考えている。親もその親がいるわけだから、もはや遺伝に近い。そして、親が言葉にしなかったことは、雑誌の写真や文章が教えてくれた。
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