自分なりに求職活動を続けていると、望むと望まざるとにかかわらず、いろいろな情報が飛び込んでくる。

企業はとかく「守秘義務」だのなんだのと厳しく言うが、求人概要には、内資・外資を問わず、企業の姿をうかがわせる情報が落ちている。 

熱心に株式投資をしている人なら、IRだけでなく、日本語や英語の求人情報まで追っているのではないか。そんなことを思ってしまう瞬間がある。

企業が口にする「守秘義務」とは、いったい何なのだろう。 

話題のAI産業も例外ではない。求人概要を眺めていると、そこから見えてくるものの多さに驚かされる。

そして、その求人を眺めながら、私はあることに思い至るのだ。

AIが社会の表舞台に立つようになった今だからこそ、その担い手が誰なのかという景色に、つい目が向いてしまう。 

AIとは、突き詰めれば「言葉」の技術だと考えていた。だから私は、長い時間をかけて言葉を大切に育ててきた人たちが、その中心にいるのだろうと思っていた。  

ところが、求人から見えてきたのは、まったく別の景色だった。

社名は伏せられていても、業務内容や勤務地を追っていくうちに、通信や建設といったインフラ企業の姿が浮かび上がってきた。技術への熱量は伝わってきた。しかし、求人概要からは、言葉そのものや、背景にある文化への関心は読み取れなかった。その印象は、今も変わらない。

AIを支えているのは、言葉を紡ぎ、文化を蓄積してきた会社ではなく、道路や街をつくり、電波を飛ばしている技術の会社に見える。

文字盤の裏側で、足場が静かに組まれていく。