出版社を退職してから、いろいろな仕事を経験した。辞めた理由について、今回は書かない。円満退社であり、オーナーを含めて元の会社の人たちとは今も仲が良い。道端でばったり会っても、毎日一緒にいるかのような感覚で、立ち話で盛り上がれる関係だ。
2013年当時、世の中は、そこまでデジタル化は進んでいなかった。ただ、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災を経て、チャットツールやソーシャルメディアが一般化し、時代は混沌としていた。仕事は、おおむね、情報と活字を軸にしたものに携わることになった。団塊ジュニア世代の私が40代に入った頃だ。
業界を出て最も驚いたことの一つは、職場で本と新聞の話がほとんど通じなかったことだ。
本といっても幅は広いから、文芸、社会科学、人文科学、自然科学などの一般書、文庫、新書に限定しておく。専門書と医学書、資格書は含めない。中には、本を読む人たちが集まる業界もあった。ただ、そこは、出版業界と同居しているような業界だったから、同じ家の人とみなすことにする。また、ここでは、「買う」ではなく、「読む」に絞って話を進めたい。
それから、仕事で出会った学者の先生方は例外だった。一般書も含め、それはそれは熱心な読書家ばかりだった。
何百人と接したわけではないが、隣の席になった人、上長になった人と接する中で、本や新聞を読み、買い、あるいは書店や図書館へ行く行為が、歯磨きと同じくらい当たり前である世界の方が特殊だったのだと、業界を離れて初めて知った。本に囲まれて育った私には、信じがたい現実だった。不思議なことに、古巣を離れて初めて、出版社勤務ではなかったものの、親たちもまた本の仕事に携わっていたのだと気づいた。
その後、何人もの仲間が出版業界を離れた。彼らは口を揃えて「他の業界では、誰も本を読まない」と言った。さらに「未婚だったり子どもがいなかったりするだけで、まるで異端のように見られる」というカルチャーショックを訴える友人もいた。出版業界では、私より少し下の世代から上の世代まで、男女を問わず未婚者や子どものいない既婚者が珍しくなかった。しかし、一歩外へ出ると、それは当たり前ではない。そのギャップに耐えかねて、結局また業界に戻っていく営業や編集者がいた。中には心身の不調を抱える人もいた。私自身、その手前の状態になった。それでも、他業界で習得したいことがあった。
長く続く出版社・取次・書店の構造的問題、以前からの出版不況、インターネットの普及に伴う情報アクセスの容易化、そしてソーシャルネットワークの台頭により、本や新聞が読まれなくなったと言われる。しかし、私は業界の外へ出て、「もともと読まない人の方が多かったのではないか」と考えるようになった。
衝撃はあったものの、業界を移動したことで視野は少しだけ広くなった。愛すべき業界を俯瞰することもできた。さらに、私たちの日常を支える社会のインフラがあることも知った。
出版業界に近い業界で働く知人がいる。子育てをきっかけに親同士の付き合いが始まり、それまで接点のなかった人たちと関わるようになったという。「いかに自分が狭い世界で経済活動をし、友人関係を築いてきたかがわかった」と話していた。
学生時代までに知り合い、連続性のあるかたちで付き合いがある友人や知人、その延長で知り合った人たち、ご近所コミュニティの場合は、本も新聞も読まなくても違和感はない。彼らの中には、エリートサラリーマンもいれば、芸術家や芸能の世界で活躍する人もいる。戸惑うのは、本を読まない人たちが集まる利害関係の経済活動の場なのである。
もし出版の世界から別の業界へ移り、新たな利害関係の中で仕事をするのなら、自分が当たり前だと思っていた世界は、決して世間の標準ではない、と知っておいた方がいい。他の世界で「浦島太郎」にならないために。
私もそのカルチャーショックで、ひどく落ち込む時期があった。しかし、ある種の割り切り方と、新しい働き方の軸(海外企業の仕事など)を見つけたことで、外の世界でも自分の言葉をすり減らさずに生きられるようになった。その具体的な処世術については、また追って詳しく書いていく。ただ、活字媒体企業に直接雇われている正社員や契約社員、嘱託などの40代半ば以上の人に向けて、これだけは先に書いておきたい。
まず、いまだに面食らうのは、「編集」と「営業」という言葉の意味である。古巣の出版業界での意味は、他業界では必ずしも通用しない。就職斡旋業者でも、「編集」と「営業」の意味が、業界ごとに異なることを理解しておらず、企業・斡旋業者・求職者の三者で認識が食い違い、ミスマッチにつながる場面を私は経験したことがある。
次に、他業界では、TeamsやSlackなどの業務チャットを、口頭で会話するのと同じ感覚で使って仕事を進めている。業務の流れそのものがチャットを中心に回る会社も少なくない。また、業務チャット内での絵文字(あいさつ代わりのリアクションなど)の文脈や、カタカナビジネス英語がごく自然に使われている。
新型コロナ禍を経てチャットツールを導入した企業が増えたとはいえ、本格的な活用は経営者の判断に委ねられているのが実情だろう。一社員の立場ではどうにもならないこともあるかもしれないが、今のうちから慣れておいた方がいい。
それから、活字媒体企業は、社内のメールやチャットで「さま」を使い、用件は2~3文、長くても5文でまとめることが多いはずだ。朝日新聞記者の近藤康太郎さんの『三行で撃つ』という、近年における名著があるが、このタイトル通りの世界だ。一方、他業界は「さん」を使う。出版業界を離れた友人は、「さん」と呼び、「さん」と呼ばれることが、踏み絵を踏まされる気持ちになると言っていた。私にも、その気持ちはよくわかる。
「さま」の使用については、以前、出版社や新聞社あわせて20社ほどの人たちに、社内で「さま」を使うのか「さん」を使うのかを尋ねたことがある。聞いた範囲では、全員が「さま」と答えた。もちろん、出版社は数千社あり、新聞社も全国紙、地方紙、専門紙まであるため、すべての会社や部署について確認したわけではない。最近はフラット化の流れで「さん」を使う会社もあると聞く。それでも私が知る限りでは、「さま」が標準のようだ。
外の世界は広い。ただ、備えがあれば、渡れる海でもある。
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本記で触れた朝日新聞記者の近藤康太郎さんの著書はこちらです。
『三行で撃つ:〈善く、生きる〉ための文章塾』(CCCメディアハウス)