出版社を経て情報と活字の世界を歩む管理人が、仕事と暮らしを綴るブログです。2026年7月1日、5年ぶりに再開しました。現在、サイト内を調整中です。

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年に一つは、新しい道具を

このブログで公開した投稿をnote用に再編集して公開することを始めた。極力毎日更新するとあちらに書いたが、noteは、少しゆるくやっていこうと思っている。

あまりに素っ気ないのもどうかと思い、サイトに少しずつ飾り付けに手を付けることにした。まずはバナーである。

ペイントやGIMPといった画像ソフトなら、それなりに使える。デザイナーではないから毎日のように触るわけではないにせよ、一通りの技能はある。だが今回は、今どき人気の「Canva」を使ってみることにした。

開いてみると、画面がいかにも今時っぽい。重厚感がない。どこまでも軽い感じ。出来上がればそれでいいのだが、この「軽い、軽いんだよ」という感覚に、戸惑った。

サクッと終わるだろうと高を括っていたのが間違いだった。わからないところを調べたり聞いたり、いざnoteに設定してみても思うように反映されず、結局また最初から作り直す羽目になった。疲れてしまった。新しい道具というのは、頭の体操を要求してくる。

出来上がったバナーは、素人臭さが抜けない。一流のデザイナーたちの完璧な仕事を見てきた私の目には、はっきりとわかる。とはいえ、無料で作ったのだし、目的さえ伝わればそれでいいと割り切ることにした。

私は普段、新しいツールには慎重な方だ。LINEやWhatsAppといったチャットアプリの類は、世に出始めた2010年前後から、直感的に、これは使ってはいけないツールと嗅ぎ取り一切使っていない。 

健やかさの残酷

普通の生活を送るには、想像以上の体力がいる。

朝起きる。着替える。食べる。排泄する。風呂に入る。太陽の光を浴びて、日々の糧を得るために働く。そして、他者との関係を維持する。文字にしてしまえばただの日常だが、これらを毎日滞りなくこなすのは、実はとてつもなく骨の折れる作業だ。

私の場合、夜には体力が底をつくことがよくある。健康を維持するため、小分けにしながら毎日五キロ歩くが、「体がきつい」という瞬間がある。夜にうたた寝することもある。私にとって入浴は、休息ではなく体力を使う作業でもある。体も髪も洗い終え、湯船にまで浸かれた日は、それだけで上出来なのである。こういう日は、睡眠も栄養も足りている。また、人さまの仕事に体力を使い切らなかった証拠でもある。すべてを出し切るのが若い時代の働き方というものだが、経験を積んだ大人は、七割に留め、残りの三割は翌日に持ち越す。それがお互いのためなのである。 

手のひらの上の舞台

ソーシャルメディアをはじめとするインターネットメディアの浸透によって、誰もが何かを発信し、披露できる時代になった。

収益になるかどうかは別として、もともと「発信できる場」を作ったり、発信そのものを生業とする会社に身を置いていた私としては、驚かされる。世の中にはこれほどまでに「物申したい」「伝えたい」「私の作ったものを見てほしい」という欲望を抱えた人たちがいたのかと。

しかし、それはネットが新たな欲望を生み出したのではない。人間の底にあった表現への欲が、可視化されただけなのだろう。人は本質的に、発信して披露したい生き物なのだ。

だとしたら、インターネットが出現する以前、彼らはどんな思いで日々を過ごしていたのか。限られた「発信できる場」に立つ人間たちを、どんな目で見つめていたのか。

「発信する側」の業界にいた人間なら、きっと覚えているはずだ。ネット初期のあの「気軽な発信と披露」をすぐには受け入れられなかった、ざらついた空気を。

今のネットメディアは、企業や組織が入り、第三者の目を入れながら作ることが当たり前になった。だが、出たての頃は違った。後ろ盾もなく、ただ個人の熱量だけで発信している人たちのことを、既存の「場」にいたプロたちは、白い目で見ていた。

かつて、音楽、写真、映像、映画、そして活字の世界には、自分のすべてを費やすプロフェッショナルたちがいた。今は、働き方改革や新型コロナ禍を経て、労働時間は短くなっているように見える。ある者は強い正義感から、またある者は純粋な熱中と楽しみから、その身を削るようにして後世に残る記録を生み出していた。それは、表現にすべてを懸けることが許され、それが価値を持った幸福な時代だったのかもしれない。

 

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値札のついた時間

手元の『岩波国語辞典 第八版』を引いてみる。

「口入れ」、奉公人の周旋を職業とする者。「口入れ屋」。この業は一九四七年、法律で禁止。

「桂庵(けいあん)」、雇い人の周旋業(者)。口入屋。現在では、この業は法律で禁止。

「女衒(ぜげん)」、女を遊女に売る周旋を職業とする者。

「口入れ」や「桂庵」は職業安定法によって禁じられ、「女衒」に至っては言うまでもなく人身売買として法で断罪されている。とうの昔に法律で禁じられ、歴史の闇に消えたはずのこれらの業だが、彼らは合法の看板を掛け替え、立派なスーツを着て現代のオフィス街を闊歩している。

2026年6月2日、公正取引委員会が、人材派遣大手5社に対して独占禁止法違反の疑いで立ち入り検査に入った。派遣先に請求する料金をめぐり、価格カルテルを結んでいた、というのだ。外国の報道がどう扱ったかは知らないが、日本のメディアはこれを一斉に報じた。民間企業だから、カルテルと呼ばれているが、要するに、談合である。誰もが知るもう一つの大手企業が名を連ねていなかったのは不思議ではあったが。

そして、このニュースを見ても、私は少しも驚かなかった。

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岩波 国語辞典 第八版

私という原盤

子どもの頃、テレビで「ルーツ」というアメリカのドラマを見た。私にとっての外国といえば、立川で目にした戦車の記憶や、日曜日の朝に父とよく訪れた小金井公園で話しかけてきた白い肌のお兄さんたちくらいしか知らない頃だった。

幼稚園に通う前の私にとって、そのドラマは衝撃そのものだった。意味はわからなかった。ただ、その光景だけは心に残った。

大学生になり、授業で、原作者アレックス・ヘイリーに触れた。課題のために、ドラマも見直した。それが単なる過去の歴史ではなく、自分の尊厳を力を持つ者に明け渡さないための闘いなのだと気づいた。

卒業後は、出版社で働いた。サム・クックは学生時代に聞いたが、彼の人となりを知ったのは、出版業界にいた15年の最後のほうだった。

サムは、当時としては珍しく、自分の音楽出版社とレーベルを持った人だった。自分の曲の原盤(マスター)を自ら持つ。それは資金も知識も必要とする、当時としては画期的な選択だった。原盤権の仕組みを知らない若い才能が、有利とは言えない契約を結び、自分の作品を手放してしまう例は、少なくなかった。

サムは、その流れに抗い、自分自身の価値を他人に渡さないための闘いに挑んだ。不慮の死を遂げた彼のその気高さに、惹かれている。

そして現代。原盤は、音楽だけの話ではない。

活字の森を出るための荷造り

本も新聞も読まない世界へ」という投稿で、私の古巣の出版業界の、あくまで私の知っている範囲での当たり前が、一歩外へ出れば、いかに通用しないかを書いた。

社内のメールやチャットでは「さま」ではなく「さん」が飛び交い、絵文字が多用される。私が見てきた限りでは、本や新聞を読まない人たちの方が圧倒的多数であり、未婚や子どもがいないことは、異端として扱われる。それが、よその世界のリアルである。

なんらかの事情で活字の業界を離れたり、メインの仕事を変えたりすることがあるだろう。そのとき、この文化の決定的な違いを事前に知っておくだけで、異邦人としての心細さは半分くらい軽くなる。 

ファッションのセンスを持つ

インターネットもソーシャルメディアもない時代、ファッション誌の存在は特別だった。作り手たちの育ちや経済的な階層は、誌面にも自然と映し出されていた。

読者モデルには、そうした家庭や、戦後に成功したお宅の血筋の子女が、学校名を出して登場していた。ダブルインカムが全く普通ではなかった時代、お父さん一人の経済力だけで、子どもを小学校や中学校から私立へ通わせる家庭は、特別中の特別だった。私が見てきた範囲では、大企業から中小企業まで、企業オーナーや自営業や文化人のお宅、あるいは、祖父母の代、それ以前から東京とその近郊で暮らしてきた家庭の子どもが多かった。

私が育った東京城西地区の公立学校では、クラスの2割に満たないくらいの女子たちは、中学生のときは「オリーブ」「mcシスター」「ジュニアスタイル」「アンアン」を読み、それらは、その子たちの間で回し読みされていった。高校生になったら、これらをチェックして「JJ」を読み、卒業したら、さらに「クラッシィ」か「ヴァンサンカン」が加わるコースが王道であった。競合誌もあったけど、当時は、これらが一流誌という位置づけだった。バブル期に創刊された「ヴァンテーヌ」は「クラッシィ」か「ヴァンサンカン」の前に入るかもしれない。私の場合は高校時代に「ポパイ」と「ホットドッグ・プレス」が加わった。

こうした雑誌文化に触れやすかったのは、出版や流通が首都圏に集中していたからだろう。地方では、同じ雑誌でも発売日や入手のしやすさに差があることを、後に出版社で働くようになってから知った。

令和になった今でも、出版社が作るファッション誌には知性がある。もちろん当時もそうだった。編集部には、雑誌を入口に本へ読者を導こうという考えもあったのだろう。私が山田詠美さんの作品に出会ったのも、マガジンハウスの「オリーブ」に連載されていた『放課後の音符』がきっかけだった。以来、今もずっと大好きな作家で、サイン会にも何度も足を運ぶほど夢中になった。

中学時代から読んでいたファッション誌からは学ぶことがたくさんあった。私は、ファッションセンスは親の影響が半分以上だと考えている。親もその親がいるわけだから、もはや遺伝に近い。そして、親が言葉にしなかったことは、雑誌の写真や文章が教えてくれた。

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