出版社を経て情報と活字の世界を歩む管理人が、仕事と暮らしを綴るブログです。2026年7月1日、5年ぶりに再開しました。現在、サイト内を調整中です。

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日常の断片、暮らし、静かな違和感

渇きと祈りの四リットル

私はコーヒーやお茶とは別に、毎日四リットル以上の水を飲む。夏になれば、その量は六リットル近くになる日もある。人に話すと驚かれることが多いが、私にとっては特別なことではない。生きていくための日課である。

家で飲む水は、何本ものボトルに備長炭を沈めている。外出するときは、五百ミリリットルのペットボトル二本にその水を注ぎ入れる。そのままのこともあれば、生理食塩水より塩分濃度が高くならない程度に海塩を加え、ビタミンCの粉末とほんの少しのサッカリンを入れるときもある。私だけの、自家製ポカリスエットである。

外を歩けば、一リットルなどあっという間に飲み干してしまう。出先で水を買い足せば、今度は体内の塩分が薄まる。そんなときは、昔から愛用している乾燥梅干しのタブレットを口に入れたり、小さなボトルに入れた海塩を水へ加えたりして調整する。水代だけでも決して安くはない。それでも、生きるために必要な出費だと思っている。

私には、十五歳から潰瘍性大腸炎(UC)がある。人生の大半をともにしている疾患だ。最近になって、UCは脱水を防ぐため、水分補給がとても大切だという説明をあらためて目にした。言われてみれば、思い当たることばかりだった。また、心臓が急き立てるように脈打つときは、決まって体が水を求めている。塩分を伴わずに水だけを飲みすぎれば、今度は体が余分な水分を外へ出そうとする。

「そんなに飲んで大丈夫なの」と、よく聞かれる。しかし、私は飲む。飲まなければ、生きていけない。

だから、有事で水が止まったときのことが、いつも頭の片隅にある。水の備蓄はしている。それでも、一日にこれだけ飲む人間にとっては、安心できる量とは言い難い。どれほど備えても、不安がなくなることはない。

先日の熊本の地震でも、私の頭に真っ先に浮かんだのは、水のことだった。

知人に、熊本に実家がある人がいる。地震の知らせを聞いてから、ご家族は無事だろうかと気になっていた。だが、本当に大変な状況に置かれているかもしれないと思うと、軽々しく連絡することもできなかった。

今日になり、ご家族の無事を知り、胸をなで下ろした。同時に思ったのは、この暑さの中で水を必要としている人たちのことだった。

健常者も水がなければ命に関わる。まして、病気を抱えている人や高齢者、小さな子どもたちは、どれほど心細い思いをしているだろう。ニュースを聞くたび、そんなことばかり考えてしまう。

無事が確認できた知人は、自身のお店で義援金を募っている。私も、次に店を訪れたときに寄付をしようと決めた。前回のときも、そうしたように。大きなことはできない。それでも、自分にできることを一つずつ積み重ねるしかない。

今日も私は、いつものようにグラスへ水を注ぐ。当たり前に水を飲めることは、当たり前ではない。そう思うだけで、その一杯は昨日より少しだけ重みを増す。

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完璧な食卓を降りる

少し前に、母と家事の話になった。

改まって話し込んだわけではない。世間話の流れで、母のまわりにいる高齢者たちの暮らしぶりを聞くことになった。聞けば、皆さん、思っていた以上に合理的だった。冷凍野菜や市販のおかずを上手に取り入れ、中には紙皿や紙コップを日常的に使っている人もいるという。

食材は生協でまとめて買い、何でも手作りしていた母でさえ、最近は生協の冷凍おかずを買うことがあるらしい。餃子がおいしいらしい。現在どこの生協を利用しているかは聞きそびれた。

もうすぐ卒寿を迎える父は、食卓に紙皿や紙コップが並ぶのを好まない。だから母自身は使わない。それでも私には、こう言った。「やってみたら。少しは家事が楽になるかもしれないわよ」

母は分かっている。私の毎日の忙しさも、体に抱えているものも。あれは、母なりの、完璧を目指さなくていい、という許可だったのだと思う。

私は十五歳で潰瘍性大腸炎を発症した。以来、水分補給は暮らしの中心にある。毎日四リットル以上の水と海塩を摂るのが私のルールで、特に夏は、コップや水筒を洗っても洗っても、また洗う時間がやってくる。夏が来るたびに、うんざりしていた。

母の言葉を聞いた私は、さっそく近所の百円ショップへ向かった。まずは紙皿と紙コップを一袋ずつ買ってみる。食事を載せると、その軽さに思わず落としそうになった。

今は近所の店を回りながら、厚みや強度を比べて、お気に入りを探している最中である。気に入った品ほどなぜか定番にならないようで、次に行くと棚から姿を消していることもある。それでも、いいものが見つかれば、まとめて買うつもりだ。

もちろん、ゴミは増える。以前、洗い物を減らしたくて五百ミリリットルのペットボトルの水を大量に買っていたことがあった。しかし、積み上がるプラスチックを前にすると、どうしても気持ちが落ち着かなかった。ところが、不思議なことに、紙皿や紙コップには同じ罪悪感を覚えない。

「紙だから」

たったそれだけの、自分勝手な理屈である。それでも、その小さな理屈のおかげで、私の心は少し軽くなった。

コップを洗う回数が減り、食後の皿洗いも減る。毎日の家事は軽くなった。

習慣というものはなかなか変わらず、気が付けばいつもの愛用のコップやどんぶりを使っている時もある。それでも、シンクに立つ時間は、少しずつ短くなっている。

紙コップと紙皿を折ってゴミ箱へ入れるたび、完璧な暮らしを続けることよりも、今日を無事に終えられることのほうが大切なのだ。母が許してくれたのは、紙皿ではない。完璧でいようとする私なのである。

快適と停滞

最近、三十九円のピーマンで半日を棒に振った。その日はどうしても、油揚げとピーマンを軽く炒めたものが食べたかった。最近の私は油揚げに凝っている。どうやら油揚げというものは、素材がよく、それなりに値の張るもののほうがおいしいらしい。

本当は、ししとうで作りたかった。しかし、私には刺激が強すぎるかもしれないと思い、スーパーで安売りされていた三十九円のピーマンを手に取った。

安かったことが問題だったわけではない。長年の経験で、自分にはピーマンが合わないことを知っている。それでも、食べたかったのである。おいしかった。

食後しばらくして、唇がビリビリとしびれ始めた。嫌な予感がした。気持ち悪さがじわじわと押し寄せた。血圧計を見なくてもわかる。長年付き合ってきた低血圧の体は、危険信号の出し方を私に教え込んでいる。慌てて正露丸を一粒飲み込んだ。

喉が痛いときも、鼻の調子が悪いときも、私はとりあえず正露丸を飲む。潰瘍性大腸炎には効かないことも、医学的には正しい対処ではないことも承知している。それでも手が伸びるのは、父の影響だ。

父は、大学を卒業してから定年まで勤め上げ、その後も八十歳まで働き続けた。突然体調を崩して仕事を休むような人ではなかったが、熱が出ると決まって正露丸を飲んでいた。その姿を見て育った私は、この十年ほど、父の癖をそのまま受け継いでいる。

もっとも、今回ばかりは正露丸も歯が立たなかった。寝不足も重なり、私は半日横になって過ごすことになった。

私には、食べ物についていくつものルールがある。それは本やインターネットで覚えた知識ではない。何十年もの失敗を重ね、体を張って覚えた経験である。ピーマンも、その一つだった。

ルールというものは、思いつきでは作れない。痛い目を見て、失敗を繰り返し、その経験が体に刻み込まれて初めて、自分だけのルールになる。そして、そのルールを守り続けることで、やがてルーティンになっていく。

今、私は余暇のほとんどを、このブログの構築に注ぎ込んでいる。更地に家を建てているわけではない。二〇一三年から二〇一八年頃まで本格的に書いた記事や、その後、二〇二一年八月まで細々と続けていた投稿はすでに下書きにしていたが、手を入れながら作り直している。WordPress.orgの投稿を、一つひとつ読み返すことはない。膨大、その余裕がない。 

しかし、宣伝用に無料ブログを利用していたことで、タイトルなどは見ることになる。恥ずかしい。

それでも、過去の自分と向き合うたび、不思議と目は未来へ向く。

近年、時間は過去から未来へ流れていくものではなく、未来から現在へやって来るものなのではないかと思うようになった。だから未来は、待つものではない。迎える準備をするものなのだ。

ぬくぬくと快適な場所に居続けることは心地いい。だが、その快適さは、ときに人を停滞させる。

十三年前、出版社を辞めたときも、同じような思いがあった。会社が続く限り、定年まで働くことはできただろう。それでも私は、その先の自分を想像したとき、このままでは立ち止まってしまう気がした。

新しいことを覚え、小さな目標を立て、一つずつ越えていく。今いる場所の外へ出る作業は、体力も気力も使うし、決して楽ではない。

それでも、このブログを整える時間、書く時間は、楽しい。過去を片付けることは、未来を迎える準備でもあるし、執筆は、自分に向き合える。

三十九円のピーマンで半日を失った私は、また一つ、自分のルールを思い出した。

手間という名の隠し味

梅雨が明け、酷暑が続いている。火を使う料理を億劫に感じ、この季節はどうしてもサラダの出番が増える。

私の定番、小松菜を洗い、食べやすい大きさに切り、ぶつ切りにしたきゅうりを添える。網に入れて冷蔵庫で冷やし、パラパラと海塩を振る。

そして、この夏、何十年ぶりかで再開した儀式がある。きゅうりのアク抜きだ。

両端を切り落とし、その断面同士をくるくると擦り合わせる。しばらくすると、じわじわと白い泡状のアクが浮かび上がってくる。子どもの頃、両親が当たり前のようにやっていたあの所作だ。たったこれだけの手間なのだが、私には、青臭さがやわらぎ、瑞々しさが増したように感じる。 

昔、テレビで見かけた大物歌手の話を思い出す。行きつけの中華料理店のもやし料理についてだ。あまりに美味しく、店主に理由を尋ねたそうだ。答えはシンプルで、もやしのヒゲ根と芽を一本ずつ手作業で取り除いているから。その話だけは、不思議と何十年たった今でも覚えている。

もやしのヒゲ根と芽を一本ずつ取る手間に比べれば、きゅうりのアク抜きはほんの一瞬で終わる。

きゅうりの値段は日によって乱高下するけれど、どんなに手頃な食材でも、手をかけることで特別になる。ひと手間を惜しまない日が、案外いい一日なのかもしれない。何気ない毎日であっても、小さな手間を重ねるだけで、少しだけ味わい深くなる。そんな予感が、かすかな希望になる。 

書いていたら、無性にもやし食べたくなってきた。暑いけれど、今夜は、もやし料理に挑戦してみようと思う。

カルテは、百戦錬磨の履歴書

私は髪にも肌にも、ほとんどお金をかけない。

髪は長年の付き合いで自分の髪質を知っているし、エステの類も、いつしか自分で手入れするようになった。その前に、よく寝て、食べて、運動して、日光浴をして、湯船に浸かる。これさえ徹底していれば、わざわざ高いサロンに通う必要性も、そもそも行く気すら起きないのだ。

そんな私が、唯一、20年近く投資し続けている場所がある。それは、歯科医院での、定期的な歯のクリーニング(PMTC)だ。

1カ月から3カ月に一度、欠かさず通う。医院の先生は、20年前に開業した私と同い年の男性。そして実務を担当してくれるのは、10年以上の付き合いになる、一学年下の衛生士さんだ。施術中や診察後に3人で交わす、健康の答え合わせのようなおしゃべりも、密かな楽しみになっている。 

そして、その医院で、私のカルテは一番分厚いらしい。

多くの人にとって、痛くなったり、何かが起きてから駆け込むのが、歯科だろう。実際、周囲に聞いても「痛みが限界に達してから行く」という人が多数派だ。何もない平時に20年間通い詰め、プロの目で虫歯や歯周病の芽を摘み続けているカルテは、年々厚くなっていく。 

だが、私には、これがいちばん効率のいい美容法でもある。髪や服は一瞬で着飾れるが、歯の清潔感と健康だけは、一日にして成らず。

また、プロの専門知識と技術を借りて、自分の体をメンテナンスし続けることは、長い目で見れば、結局はいちばん安く済むような気がしている大問題が起きてから高額な治療費が発生するのは、財布にも応える。

カルテの厚みは、20年間、自分の体と付き合ってきた履歴書でもある。院長は、一応、一生診てくれるというし、何かあっても後継者であるご親戚の若い世代が、コピーロボットのように診てくれるらしい。

一般人も歯は命、である。

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本記に出てくる歯科医院でも扱う、知覚過敏にいい歯磨きです。
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手のひらの上の舞台

ソーシャルメディアをはじめとするインターネットメディアの浸透によって、誰もが何かを発信し、披露できる時代になった。

収益になるかどうかは別として、もともと「発信できる場」を作ったり、発信そのものを生業とする会社に身を置いていた私としては、驚かされる。世の中にはこれほどまでに「物申したい」「伝えたい」「私の作ったものを見てほしい」という欲望を抱えた人たちがいたのかと。

しかし、それはネットが新たな欲望を生み出したのではない。人間の底にあった表現への欲が、可視化されただけなのだろう。人は本質的に、発信して披露したい生き物なのだ。

だとしたら、インターネットが出現する以前、彼らはどんな思いで日々を過ごしていたのか。限られた「発信できる場」に立つ人間たちを、どんな目で見つめていたのか。

「発信する側」の業界にいた人間なら、きっと覚えているはずだ。ネット初期のあの「気軽な発信と披露」をすぐには受け入れられなかった、ざらついた空気を。

今のネットメディアは、企業や組織が入り、第三者の目を入れながら作ることが当たり前になった。だが、出たての頃は違った。後ろ盾もなく、ただ個人の熱量だけで発信している人たちのことを、既存の「場」にいたプロたちは、白い目で見ていた。

かつて、音楽、写真、映像、映画、そして活字の世界には、自分のすべてを費やすプロフェッショナルたちがいた。今は、働き方改革や新型コロナ禍を経て、労働時間は短くなっているように見える。ある者は強い正義感から、またある者は純粋な熱中と楽しみから、その身を削るようにして後世に残る記録を生み出していた。それは、表現にすべてを懸けることが許され、それが価値を持った幸福な時代だったのかもしれない。

 

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おいしくなりますように

朝起きてやることの一つが、コーヒーをいれることだ。豆の銘柄よりも大事にしていることがある。

好みは、ドイツの普通のスーパーで売られているコーヒーや、昔の珈琲館のブレンドの味だ。そのあたりの話はいつか書くとして、私が求めるのは、とにかく苦くて渋い味だ。

スーパーで売られている、苦みの強い、しかも粉になっているものを買う。おいしいとされるコーヒーの入れ方は、ソーシャルメディアで次々と流れてくるけれど、正直時間がかかる。そういった入れ方をしたコーヒーは、お金を出して専門店で飲んだほうがいい

代わりにやっていることがある。8年か9年前、大学病院の待合室のテレビでNHKが流れていた。コーヒー好きの女優さんが出ていた。こだわりなどを話していたのだが「とにかく心をこめていれます。おいしくなりますように」というようなことを言っていた。

このやり方を入れることにした。

お湯を注ぎながら、「おいしくなりますように」と念じる。そうすると、あら不思議。本当においしい。一方で、この「おいしくなりますように」は意識的にやることなので忘れてしまう。これまたあら不思議。どこか物足りない一杯になる。朝から損をした気分になる。 

いただきものの創業何十年になる有名コーヒー豆店や、チェーン店で扱う少し高めの豆ですら「おいしくなりますように」と思わないと、本当においしくならないのだ。精神論のような話だが、「おいしくなりますように」と思うことで、お湯の温度や注ぎ方、カップの温め方まで、自然とていねいになるのかもしれない。心をこめるとは、特別な技術ではない。ほんの数秒、「おいしくなりますように」と思うだけで、一杯は変わる。

私は今日も、その一杯から一日を始める。

日記は、誰にも見せない

ある時から手書きで日記をつけるようになった。

それまでは、不定期に、紙のノートや、誰にも見せないデジタル媒体に何かを綴っていたが、記録は統一した方がよいと思ったし、デジタル媒体には、常に第三者の存在を意識せざるを得ない。デジタル媒体の向こうには、常に「誰か」がいる。

日本全国の文房具店で扱う昔からある小さめの大学ノートに、「誰か」を気にせず、書くことにした。

前日の事実だけを淡々と記すこともあれば、喜びや怒りを書くこともある。その日の大切な予定を忘れないためにメモすることもある。とにかく、その時思ったことや考えついたことを書く。

日記には、デジタル化していないことがたくさんある。私が死んだら、すぐに発見されて、多少の資料にはなるかもしれない。読みづらい字かもしれないけど。

ペンは、いろいろ試したところ、定番として使うノートには、インクの滑りがいいものが良いことがわかった。気に入って使っているものがある。

書く時間は、朝である。

理想は、起床し、コーヒーをいれ、顔だけ洗って、スマホも見ずに、パジャマのままで20分くらいかけて書くこと。

しかし、日々の忙しさのなかで、こういったことは時々しかできない。

現実は、起きて、身近な人からの連絡チェック、コーヒーをいれながら身支度、散歩(スマホを見ながら)、洗濯と掃除、ヨガ、日記に1-2分、仕事の準備、という流れになる。

日記に1-2分は短いようで長い。でも、いろいろなことが書ける。すっきりする。本当は夜に書くのがいいのかなと思いつつ、とりあえず朝だけ書く。

手書きの日記は、私にとって記録であると同時に、頭と心を整理する時間でもある。

だから今日も、朝、ノートを開く。

 

朝の時間に使っている、定番のノートとペンです。
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