出版社を経て情報と活字の世界を歩む管理人が、仕事と暮らしを綴るブログです。2026年7月1日、5年ぶりに再開しました。現在、サイト内を調整中です。

タグ: 現代の女衒(連作)

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一秒も渡さない

相場よりも高すぎる時給。あるいは、こちらの希望に、あまりにもきれいに寄り添う勤務条件。画面に躍るその言葉は、喉が渇いたときに見せるオアシスの幻影のようだ。

「応募されたポジションは、先ほど埋まりました。ほかのポジションいかがですか」

画面の向こうで担当者が放ったあっけない一言に、頭に上っていた熱が、すっと引いていった。

求人票に心を躍らせ、服を選び、普段より時間をかけて化粧をし、髪を整え、パソコンを立ち上げ、指定された時間を待つ。画面がつながった途端、応募したものとは異なるポジションを勧められた。派遣では本来「面接」とは呼ばないはずなのに、その場では、ごく自然にその言葉が口にされていた。

その出来事は、誰もが知る派遣会社と企業で起きた。私はずっと忘れないだろう。

後に、別の斡旋業者から「おとり求人」というものがあることを聞いた。不動産でも、客を呼び込むためだけの「釣り」があるという。まったく同じ構図だった。

魅力的な餌で人を集め、別のものを差し出す。求職市場のそのやり方に、「現代の女衒」と名づけたことを思い出した。

虚偽や誤解を招く求人は、法令や指針でも問題視されているにもかかわらず、他人の時間を平然と軽んじる罠が潜んでいる。ほんの一瞬の出来事に思えても、不誠実さにさらされた身体は、驚くほど一気に体力を削り取られてしまう。その徒労感は重く、心身の奥深くに響く。

画面を閉じて散歩に出た。その時、強く思った。誰かの不誠実のためにすり減らしていい体力も、不快感に差し出す時間も、自分には一秒だって残されていないのだと。

甘い条件に惑わされたかもしれないが、私という人間の価値まで買い叩けたわけではない。幻の椅子を差し出されたのなら、腰かけずにその接続を切ればいい。

今夜はおいしいものを食べよう。私は、誰の釣り針にもかからない。そのために、今日という一日を、自分の暮らしへ返そうと思った。

値札のついた時間

手元の『岩波国語辞典 第八版』を引いてみる。

「口入れ」、奉公人の周旋を職業とする者。「口入れ屋」。この業は一九四七年、法律で禁止。

「桂庵(けいあん)」、雇い人の周旋業(者)。口入屋。現在では、この業は法律で禁止。

「女衒(ぜげん)」、女を遊女に売る周旋を職業とする者。

「口入れ」や「桂庵」は職業安定法によって禁じられ、「女衒」に至っては言うまでもなく人身売買として法で断罪されている。とうの昔に法律で禁じられ、歴史の闇に消えたはずのこれらの業だが、彼らは合法の看板を掛け替え、立派なスーツを着て現代のオフィス街を闊歩している。

2026年6月2日、公正取引委員会が、人材派遣大手5社に対して独占禁止法違反の疑いで立ち入り検査に入った。派遣先に請求する料金をめぐり、価格カルテルを結んでいた、というのだ。外国の報道がどう扱ったかは知らないが、日本のメディアはこれを一斉に報じた。民間企業だから、カルテルと呼ばれているが、要するに、談合である。誰もが知るもう一つの大手企業が名を連ねていなかったのは不思議ではあったが。

そして、このニュースを見ても、私は少しも驚かなかった。

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岩波 国語辞典 第八版

彼らの売り上げ、こちらの日銭

前日の記事で、就職斡旋業者との押し問答について書いた。あの担当者は、なぜ現場とのミスマッチを恐れず、「やる気」を免罪符のように口にしたのか。その理由を考えているうちに、一つの構造が見えてきた。 

誠実な担当者はいる。しかし、企業という組織は、利益を上げる仕組みで動く。登録者の経歴を商品として扱い、市場に並べる私が接した複数の担当者は、まず直近の職歴を見ると話していた。その人が新卒で入った会社で何を学び、どんな力を培ったか。履歴書や職務経歴書の下のほうに追いやられてしまう、人間の根っこにある歴史は、最初のフィルタリングでは見落とされがちだ。

加えて、紹介手数料は一般的に成約時の想定年収に比例する。つまり、高く売れる経歴を持つ商品ほど、業者にとっての貢献度が高い案件となる。 ここに、現場のミスマッチの可能性があっても「まずは面談にかせ、何が何でも押し込もうとする」担当者が生まれる構造がある。少なくとも、前述の担当者とのやり取りでは、求職者の生活より数字が優先されているように見えた。 

仲介利益が生まれる構図を見ていると、宮尾登美子の小説や、今村昌平、五社英雄らの映画に描かれた世界を思い出す。現代は建前上、人権が守られた社会ではあるが、人が取引の対象として扱われる構図は、芸術が描いた世界と地続きのようにも思えてしまう。

とはいえ、担当者個人を責めることもできない。彼らにも日々の暮らしがある。

広告代理店が、時代の空気をつくる仕事だとするならば、現代の企業の血の巡りを握っているのは、データを持つ斡旋業者なのかもしれない。広告代理店はたびたび批判の対象になるが、斡旋業者の構造そのものは、あまり語られない。労働市場が合理化される一方で、人を見る目はますます数字に寄っていったようにも思う。 

彼らには彼らの売り上げがある。そして、こちらには今日を生きるための日銭がある。二つは、同じ「仕事」でも、違う方向を向いている。

やる気という名の幻想

日銭稼ぎのために仕事を請けることがある。半分くらいは、斡旋業者に登録してのものだ。私のキャリアでは案件につながりにくいのか、あるいは年齢の壁か、エントリーしてもシステムにはじかれることが増えた。閉鎖的な登録ページに自分の経歴が並ぶのを見るのは、気分のいいものではない。

出版社で正社員として働いていた頃までに、雇用の立場でできること、やりたいことは、一通りやらせてもらえた。オーナーたちの懐の深さには今でも感謝している。当時の同僚や先輩、後輩たちとはいまだに交流が続いている。また、別の会社での上司や同僚たちとも、道端でばったり会えば、さも毎日一緒に働いているかのように弾んだ話ができる。尊敬できるオーナーのもとで働くとは、こんな財産を遺してくれるものなのだとよく思う。

だが、斡旋業者が介入した世界は少し勝手が違う。熱心で素晴らしい担当者もいるが、首を傾げたくなる人にも出会う。

ある案件で、忘れられない出来事があった。 

私の経歴がマッチしたというので、斡旋業者の企業担当者二人、それぞれと面談をした。トータルで1時間15分。そこで開示された業務の詳細は、私にはとてもではないが務まらないと思えるほど、高度な専門性を要するものだった。

数日考え、社内選考の段階で辞退を申し出た。すると、担当者から引き留めにあった。「やる気があればできます」「コミュニケーションがとれれば大丈夫です」「人柄が求められているんです」と、精神論が返ってくる。 その分野の基礎的な専門用語をいくつか投げかけてみたが、担当者は話を逸らした。思い切って、その分野の実務や勉強をされたことはあるのですかと聞くと、「全くありません」と言った

合点がいった。理論や知識だけがあっても、手足を動かさなければ仕事にはならない。そして、その理論すら、本を読み、手足を動かし、また本を読む。そんな泥臭い往復の中でしか身につかない。楽器は触らなければ奏でられないし、お茶も道具を手にしなければ点てられない。背伸びをしてやる気でできる仕事と、それが許されない世界はあるのだ。後者の場合は、辞退するのがマナーなのである。

法律や倫理、組織の決め事を守るのであれば、極端な話、性格が暗かろうが人柄がどうだろうが構わない。現場が求めているのは、実際に動ける人だ。

私の周囲でも、働き手からも企業からもミスマッチの話を耳にする。今回はミスマッチの原因を見たような気がする。少なくとも、その担当者とのやり取りでは、そう感じた。

その電話は44分続いた。私に残ったのは「やる気」と「できる」は違うという、当たり前の事実を改めて確認したことだった。

近いうちに、この仕組みに違和感を覚える理由について、もう少し掘り下げてみたい。 

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