出版社を経て情報と活字の世界を歩む管理人が、仕事と暮らしを綴るブログです。2026年7月1日、5年ぶりに再開しました。現在、サイト内を調整中です。

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ポケットの底の沈黙

インディゴとシニヨン(一/全二回)

かつては地肌の健康のためにと始めたヘナだったが、今ではインディゴを混ぜたそれが、月に一度の髪の必需品になった。

私と母はくせ毛である。母は、還暦前後から白髪染めを始めた人なので、私もその血筋を受け継いで、当分は、白いものとは無縁だろうと思っていた。ところが、くせ毛は母譲りなのに、白髪の出方だけは父の遺伝子を色濃く引き継いでしまったらしい。髪全体が白くなったわけではない。ベースは昔からの焦げ茶色にとどまっている。直毛の父は40代にしてすでに白髪が混じり始め、あっという間に真っ白になった人だった。一方で、アラフィフの我が妹は直毛で白髪などは無縁である。時間、体力、お金を浪費せずに、毎日を送っている。

何年か前、ある有名人が白髪染めをやめたと宣言して話題になった。雑誌を開けば「グレイヘアで美しく」といった特集が組まれ、SNSでも国内外を問わず、白髪をおしゃれに楽しむ人たちの姿をよく目にする。眺めている分には、たしかに気持ちのいい潮流だと思う。

ファッションデザイナーの島田順子さんの髪スタイルには、若い頃から憧れていたものだ。ただ、それはやはり特別な世界の話だと思っていた。ところが、普通の人でもこんなに素敵になれるのだと知ったのは、だいぶ前、都内のドイツの文化施設が主催する、食にまつわる催しに足を運んだ時だった。そこに集まっていた年配の日本女性たちは、華美ではない、こざっぱりとした服を着こなしていた。そして、その多くが美しい白髪に真っ赤な口紅をひいていたのだ。知的で堂々としたその佇まいは、素敵だった。

しかし、いざ自分の生活を顧みると、やはり今はまだインディゴ入りのヘナが手放せない。私が白髪を染める理由のひとつは、親が健在だからだ。私には子どもの頃から結婚願望がなかった。そのような形式はおいておいても、親に孫の顔を見せることがなかったのだ。おまけに十代半ばからは難病を抱えた。せめて親の目の前では、まだ黒い髪の娘でいたいという、ささやかな見栄なのである。

もうひとつ、私の白髪には少し厄介な特徴がある。白くなるのは全体ではなく、前髪の少し後ろの特定の部分ばかりなのだ。ネットの情報によれば、頭部のその部分は、腸につながっている説がある。私は、15歳から潰瘍性大腸炎を患っているから、あながち迷信とも言い切れないような気がしてしまう。十代から通う美容院のオーナーは「毛量も多いし、全体の割合からすれば白髪は少ないから、まだヘナで大丈夫」と太鼓判を押してくれるのだが。

実は、インディゴ入りのヘナが、月に一度で済むようになったのは、ごく最近のことだ。それまでの約1年半の特に後半は毎週のように染めないと追いつかなかった。

ポケットの底の沈黙(三/全三回)

「ポケットの底の沈黙(二/全三回)」からの続きです。

何度も何度も囲い込まれそうになりながら、なぜ私は一度もあちら側に足を踏み入れずにいたのか。

理由は二つある。一つは、何十年もの間、自分自身で人体実験を重ねながら、食のルールを築いてきたこと。もう一つは、私には簡単には揺らがない拠り所があることだ。 

私の両親の実家は、分家ではあるが、江戸時代から続く寺である。親戚のほとんどが僧侶で、祖父も、大おじ、大おば、おじ、おば、いとこもはとこも、その子どもたちも、皆、お寺の中の人だ。幼少期、夏や冬にそこへ行けば、毎晩のように誰かしらがお経をあげていた。私たちは、死を怖がらない。親戚の誰かが亡くなれば、荼毘に付す前の姿の写真が、何事もないように送られてくる。

新興宗教のきらびやかな集会や、念仏の響きを聞いたとき、私の中に湧き上がったのは信仰心ではなく、慣れ親しんでいるお経とは違うという感覚だった。ルーツが、私の無意識の領域に絶対的なバリアを張っていたのだ。

孤独や寂しさがなかったわけではない。中年を過ぎた今ならわかる。鍵っ子だった子ども時代、私は、親の保護が欠けた寂しさを抱えていたし、それが人格形成に影を落としていることも自覚している。

人は誰しも、人生のどこかで弱る。病を得ることもあれば、大切な人を失うこともある。そんな時、人は手っ取り早い居場所や救いを求めたくなるものだ。

幸か不幸か、私の場合は、難病と付き合う中で身につけた食のルールと、先祖が遺してくれた目に見えない防波堤がある。しかし大人になった今の私を守るのは、自分自身の手でポケットの底に隠す、小さな沈黙なのである。

ポケットの底の沈黙(二/全三回)

「ポケットの底の沈黙(一/全三回)」からの続きです。

高校生になってからは、こんなことがあった。

吉祥寺の、今でいうセレクトショップでのことだ。別店舗にいるオーナーとは顔なじみだった。母の入院で友達ともなかなか約束ができず、突然立ち寄れるその店は、当時の私の小さな居場所だった。店の女性と何度か顔を合わせるうち、母の病気のことまで話してしまった。 

ある日、訪ねたとき、「オーナーには内緒ね」と、ガサガサと何かの箱を取り出した。

「これ、すごいいいわけ」

締め切った店内でタバコを吸いだし、「このスプレーをかければ匂いが消えるの」と実演してみせる。サプリメントという言葉すら普及していない時代である。持ち帰ったパンフレットを見た母は一目で切り捨てた。

「これはネズミ講よ」

十六歳のヤングケアラーであるJKに、大人の女性がネットワークビジネスの営業をしたというわけだ。しばらくしてから、彼女はお店を辞めた。オーナーに理由を聞いたら、何も答えてくれなかった。

母の闘病中は、官舎のチャイムがよく鳴った。中学の同級生のお母さんが、仏教系の前述の団体とは別の新興宗教の勧誘にやってきたり、下級生のお母さんたちの中には、別のキリスト教系の新興宗教につながっている人もいた。 

退院した母が、猿の腰掛を煎じた飲み物と、「これを飲めば治る」と食べていた高額なプルーンの瓶詰めも、今思えばそうしたネットワークの類だった。職場の人が勧めたらしい。  

自身の闘病で疲弊していた十年前にも、それはやってきた。昔の友人からサプリメントのお誘いを受けた。その人は私だけでなく、群れない友人たちを当たっていたようだった。私は「自分で決めた食のルールがあるから」と断った。

別の友人からは小包が届いた。私が潰瘍性大腸炎での闘病やリハビリ期間を終え、まだ副作用がたくさん出ている時期のある日に受け取った。

中を開けたところ、キリスト教系の新しい宗教の本が入っていた。教祖の身内を「この方を心から尊敬している」と書かれた手紙が添えられていた。集会に誘うわけでもなく、ただ本を勧めてくるだけ。私は返信の言葉を選んだ。仲の良い友人だったからこそ、その人を傷つけたくはなかった。私は本を読むとも読まないとも言わず、自分のバックグラウンドや、いずれ得度を考えていることを伝えた。

 

ポケットの底の沈黙(一/全三回)

大人になって学んだ鉄則がひとつある。それは、病気のこと、財布の中身、そして一人でいる時間の多さを、人へ明かすことには慎重になる、ということだ。身体や心が弱ったとき、あるいは少しばかり暮らしに余裕が見えたとき、どこからともなく寄ってくる者たちがいる。   

振り返れば、私の人生の要所要所には、いつも彼らの影がちらついていた。

小学校四年の時だった。私の育った時代、母親がフルタイムで働く家庭は珍しかった。私は学童には行かず、鍵っ子として過ごしていた。それには理由があった。妹の保育園のお迎えという「仕事」があったからだ。

習い事の合間を縫い、夕暮れ時に妹の手を引いて歩く。そんな私に、自転車に乗った担任の女性教諭が声をかけてきた。

先生は、今の私と同じくらいの年齢だったろうか。ご主人は亡くなられていたが、成人してだいぶたつお嬢さんと二人暮らしを楽しんでいる風情の、さっぱりとした良い人だった。

実際、父の終活の際に小学校時代の通知表が見つかったのだが、六年間で、一番良いことを書いてくれていたのがこの先生だった。一、二年生と五、六年生のときの男性担任は「女の子なのに〇〇する」と書き、母は、毎学期いらついていたらしい。

この四年の時の担任は、夏休みには受け持ちの児童を自宅に呼んで、庭でバーベキューをさせてくれるような、親しみやすい存在でもあった。

「ちょっと、うちに来なさいよ」

声をかけられるまま、私と妹は、先生のお宅に行った。しばらくするとインターホンが鳴り、同じ小学校の下級生の親子や、近所の見慣れた顔の人々が集まってきた。何が始まるのかと思っていると、テレビの画面に見たこともない映像が映し出された。

西武球場に埋め尽くされた群衆。その真ん中に立つ男性。私の目に映ったのは、熱気だった。

帰宅後、九歳と五歳の私と妹は、母に、その集会の中心人物を「先生」と呼んで大絶賛の報告をした。母の顔が一瞬で固まったのを覚えている。そういえば、その先生は、いつも教室で読んでいる決まった新聞があった。

私が育った西武沿線の街は、お屋敷街と、政治思想と新興宗教の熱気が隣り合う、不思議なモザイク地帯だった。また、自転車で少し南へ走るだけで、さまざまな宗教の拠点が点在し、境界線を一つ越えるだけで、別の世界に入り込んだような空気が流れていた。    

そして、先生のお宅に呼ばれていたのは、祖父母の代から東京にいる子どもたちだった。しかし、私の両親は地方出身で、うちは核家族だった。さらに、学年で唯一の、学童保育に行かない鍵っ子だった。私は、保護者の目が届きにくい児童だったのだ。

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