生きている記録

出版社を経て情報と活字の世界を歩む管理人が、仕事と暮らしを綴るブログです。2026年7月1日、5年ぶりに再開しました。現在、サイト内を調整中です。

スーパーにあるもので

私はバターと海塩を大量にとる。もちろん水と野菜もたくさん体に入れる。水は一日4リットル、塩は調理とは別に20グラムほどを塩水にして飲む。バターは90グラムから100グラムだ。野菜は菜っ葉を中心に400グラムくらい。

すべて近所のスーパーで手に入る。

今回はバターと海塩について書きたい。

私は食料品を買うとき、自宅付近の11店舗ほどを利用している。バターは1軒を除いたすべてで扱っている。海塩については後述する。

バターはプライヴェートブランドを含め、雪印メグミルク、明治、よつ葉乳業、北海道乳業など、いくつかのメーカーが似た価格と容量で並んでいる。200グラムだったものを180グラムに変えたメーカーもある。値が上がっても200グラムでよかったのに。

そして、今のところは、有塩を選んでいる。時折、輸入バターが国産100グラムと同等の価格まで下がることがあり、その時はそれを選ぶ。自分の中に、おいしさの順位があり、その日のメインの買い物の行き先にある店で調達する。 

30年ほど前まで、東京の庶民のバターといえば雪印の200グラム箱だった。場所やお店にもよるが、300円も出せば買えた。20年ほど前から店頭の顔ぶれが変わり、種類が増えた。

塩は平釜製法であること以外に条件はない。ある高級スーパーでは、いいメーカーのものを手頃な価格で扱っているから、そこで買っている。不当な値のついた品には手を出さない。例外は、人からもらう旅のお土産だけだ。

食べる物は決まっているわけだから、私は、それを追い求めて生きていけばよい。しかし、この物価高でいろいろを考えている。

値段が上がれば、買う量を減らすという方法もあるのだろう。しかし、私の場合は、何十年かかけて決めた食のルールがある。バターと海塩もである。これは、15歳で発症した潰瘍性大腸炎とともに、私が何十年もかけて見つけてきた、平穏でいられる方法だ。 

毎日1分は、そのいろいろを気にかけて生きていこうと思う。

スターが遠かった頃

Xを見ていたら、『ティファニーで朝食を』の切り抜きが流れてきた。オードリー・ヘプバーンの主演作品だ。多忙で心が乱れているところに。

オードリー・ヘプバーンの映画は、定期的に見なければと常々思っている。映画の中のファッションは、永遠ともいえるスタイルでもある。

同じように考えているのが、ジャンヌ・モロー、ソフィア・ローレン、カトリーヌ・ドヌーヴ。それから、ダイアン・キートン。すでに亡くなった人もいる。

作品を語りだすときりがないので、ここでは書かない。ただ、この人たちの映画を見ると、背筋がのびる。

気になった人は、なんでもいいので作品を見てほしい。洋服のセンスが悪いと自覚している人にも、ぜひ見てほしい。

この人たちより下の世代だと、クイーン・ラティファとジェニファー・ロペスだろうか。音楽活動のイメージが強い人もいるかもしれないが、二人ともいい女優だ。

若い人がいなくて恐縮だが、ここにあげた人たちは、ソーシャルメディアが出現する前から活躍している。日本にいると、なおさら見る機会の少ない人たちでもあった。

洋雑誌、日本の雑誌だと新作プロモーションやファッション特集。映画館、レンタルヴィデオ。そんなところでしか、お目にかかれない人たちだった。音楽活動をしている人なら時々偶然MTVで見られたが、録画でもしない限り、何度も見ることはできなかった。

粗が見えない。だから神格化される。

たまにしか見られないから、価値が上がる。

日本でも、角川映画でデビューした薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世は、テレビへの露出を抑える戦略がとられていたという。私は、小中学生の頃、原田知世のファンだったが、本当にテレビにはほとんど出なかった。テレビコマーシャルと公開前の歌番組くらいだったような記憶がある。

映画館へ足を運ばなければ、簡単には会えない。女優を遠いところに置くことそのものが、スターをつくる方法でもあったのだろう。 

そうして価値が上がったまま、ソーシャルメディアの時代になった。だから、その前の時代から活躍する人たちは、神格化されたまま紹介され続けている。見る側にも、その像が残っている。

今、同じような神格化をつくりだすのは、難しいだろう。映画と書籍にしか出ない女優さんがいたら、知りたいものである。

最後は体力だった

周りでは、生成AI、とりわけLLMを使い始めて、疲れるという人が続出している。

それはそうだろう。吐き出してもらった応答には、検証と校閲が待っている。言葉も整えなければならない。商用で使うなら、なおさらだ。大きな企業で働く友人などは、最初から自分でやったほうが時間がかからないし、疲れない、と言っている。私は、この十数年のうち、およそ10年はずっとAIの裏側にいる。これはこれでまた大変なので、公私ともに疲れている。

今のAI競争では、エネルギーとチップを多く確保した者が強いらしい。データセンターは大量の電力を使い、冷却には水も要る。AIを動かし続けるにも、資源が要る。人間も、ただでは済まない。楽になるはずの作業なのに、別の作業を連れてくる。会社の端末の中に、自分だけの場所はないという窮屈さもある。そして、これまで備えてこなかった企業ほど、今になって苦労している。なにもかものデータ化。その代償を、結局は人間が払っている。

10年前、私は長期入院した。退院した時、理学療法士から、80代の人より筋力も体力がないと言われた。床に座れば、一人では立ち上がれなかった。

あの頃、体力があり、大病をせず、休職も入院もしなかった人たちが、この世の勝者だと知った。勤め人もフリーランスも自営も関係ない。理不尽だとは思ったが、事実は事実だった。その立場になって世間を見渡すと、個人の地頭の良さや教養や知性や技術力以前に、体力のある人がとにかく強いことに気がついた。

AIの時代になっても、この構図は変わらないどころか、むしろ際立っていく気がしている。道具が進化するほど、それを毎日使い続けられるかどうかは、結局、体が持つかどうかにかかっている。拘束時間ありきの仕事なら、労働時間は変わらないのに、新しい仕事だけが増えていく。

私がやることは変わらない。よく食べ、よく眠り、よく歩き、よく出す。そして、血を巡らせ、体を整える。

人間にできることは、原始的なところにしかないのかもしれない。

あんず飴一本の夜

港区の祭りで起きた食中毒のニュースを見た。会場で販売された冷やしカニラーメンが原因とされる。

子どもの頃、母は屋台で食べ物を買うことをいやがった。父もだった。母の母の姉妹全員、父の母、皆、屋台で何かを買うことを嫌っていたという。具体的な理由は、母からも、父からも、語られなかった。

年齢を重ねるごとに、理解するようになった。

母方の祖母たちが暮らした母の実家には、広い土間があり、大勢の手伝いさんが働いていた。家の主である大伯母は、衛生面に厳しかったという。母はサラリーマンである父と結婚した後も、まず衛生を第一に考える姿勢を崩さなかった。

小中学生の頃、夏の祭りに同級生と行くようになった。手渡される小遣いはわずかだった。いろいろなものを買わせないことと、倹約のためだったのだと思う。

買えたのは、あんず飴一本くらいだった。毎年、あんず飴を食べていた。みんなはいろいろ買っていた。それでも、夜の空気と甘酸っぱさだけで胸が躍った。

今回の食中毒を知り、母が屋台の食べ物をあれほど嫌った理由を改めて理解した。母の判断は正しかった。

そして、カニと言えば、古くからある宗教には甲殻類を食べない規律があることを思い出した。

文化人類学者のマーヴィン・ハリスは、宗教における食の禁忌を、生態や暮らしの条件から説明した。食べてよいものと、食べてはいけないものには、その土地で生きるための理由があったと考えた。 

もっとも、人類学者メアリー・ダグラスは、この種の禁忌を、衛生の理由ではなく、清浄と不浄を分ける、その社会独自の秩序の問題として説明している。どちらが正しいのか、私にはわからない。

それでも、親も含めて、先人が守ってきた分別は、頭の片隅に入れておいたほうがいい。

おいしさは娯楽だ。だが、おいしさと栄養、そして、おいしさと衛生は、別の話である。

てるてる坊主の化粧道具

女性の化粧には、だいたい決まった順番がある。肌を整え、下地をつくり、粉をはたき、パーツの化粧へ入る。

私の場合は、洗顔後、目の周りにだけ薄くワセリンを塗る。赤ちゃん用の日焼け止めと下地、お粉。そのあと、目、眉、唇の順番で化粧する。ファンデーションは昔から使っていない。チークとつけまつげは、電車に乗って出かけるときだけ。5分から7分で終わる。

もともと使うものは少ないが、今年に入って、さらに二つの道具を使わなくなった。

それは、お粉のパフとチークブラシである。

かつては、パフは最長でも1週間、チークブラシは数回使って洗っていた。この作業が面倒になったのだ。

アイシャドウも、だいぶ前にやめた。何本かのアイライナーを駆使すれば、自分の手だけで、スモーキーな目元を仕上げられることに気がついたことが大きい。色や質感を選ぶ楽しい時間が、私の生活からなくなった。

パフやブラシを洗い、きれいになっていくのを見るのは気持ちがよかった。それでも、何百回と繰り返してきたその作業に、とうとう飽きた。

代わりにどうしているかというと、コットンを数枚とり、ティッシュで包む。てるてる坊主のような形に丸め、それをパフやチークブラシの代わりにする。仕上がりは少しマットになるが、毎日使い捨てだから、洗う必要はない。清潔でもある。

省いたのは道具だけで、色の置き方への関心は変わらない。好みの海外ブランドのサイトもいくつかチェックしている。

18歳で買ったブラシは、長い間、私の頬に触れ続けた。たくさんの思い出があるから、捨ててはいない。紙やコットンを気軽に使い捨てられなかった時代なら、こうした洗って使える道具の方が理にかなっていただろう。

美容雑誌に登場するヘアメイクアーティストの手技には、参考にすべき知恵がある。特に、眉である。髪のまとまりと並んで、印象を決めるのはここだと思っている。プロの技は、そのまま取り入れたほうがいい。

ただ、専用の道具まで必要だと思っていたのは、彼らの示す型や、化粧品会社の広告に影響を受けすぎていたからかもしれない。

今なら、てるてる坊主のやり方でよいのではないか。

一つで足りる

この10年ほど、美容には、ワセリンが活躍している。

用途は複数ある。口紅やアイメイク、チークのクレンジングに使う。入浴後は首に塗る。顔のマッサージにも使う。毎日ではないが、足の裏のマッサージにも使う。髪のセットにも使う。髪質は太く、くせがある。髪を湿らせ、適度になじませてからシニヨンにまとめる。

それより以前は、パーツごとに専用の製品をそろえていた。2010年頃、東日本大震災の前あたりから、物を減らしたいという願望があり、少しずつ変えていった。一つの製品で複数の用途を兼ねられるなら、それに越したことはないのだ。

かつて「鉱物油は肌に悪影響を与える」という説があった。植物由来の製品を販売する企業のマーケティング活動だったのだろうと、今は思う。いつの時代も、よいものをつぶすためのキャンペーンがある。歯科医院では、治療中、唇の保護のためにワセリンを塗る。2カ月に一度は必ず通う歯科でも、衛生士さんが塗ってくれる。口元にも使われるほどの安心な油だ。

植物油には固有の匂いがある。同じ自然由来でも、ワセリンにはセンシュアルな匂いがない。主張がない。さらに、ドラッグストアには必ずあり、安価だから、量を気にせず使える。これもいい。

2016年、長期入院を経て家に戻ったとき、美容系のものがすべて汚く思えた。化粧品も、道具も。長期入院者にはよくあるのか、神経質になっていた。ほとんどを捨てた。こういう行動を起こすのも、まだ普通ではない病人だった。残したのは、ワセリンと、病院でもらった塗り薬と、新しく買いそろえた化粧品だけだった。

それで、十分だった。

権威という刻印(二/全二回)

「権威という刻印(一/全二回)」からの続きです。

さらに時を遡る。

レコード屋で働く友人が、絶対に好きだからと、一枚の盤を差し出した。

彼は私の好みをよく知ってくれていた。イギリスのレーベル、Talkin’ Loudから出たThe Roots(以降、ルーツ)のミニアルバムだった。私は、これはいいと思って、レコードを大学へ持って行った。みんなにも聞いてもらいたい。

こぢんまりとしたキャンパスには、音楽のジャンル別のコミュニティがあった。カルチャー別のグループといってもいいだろう。ヒップホップを好む人間も、誰がそうなのか把握できるほどの人数だった。私は、だいぶレア・グルーヴ寄りだったが、ラップもR&Bも聞いていた。親しい人たちとは、アナログやCDの貸し借りをしていた。

いつものように、かっこいいよ、と、ルーツのレコード貸した。アレステッド・ディヴェロップメントが苦手な皆だったが、洗練されたルーツなら通じるはずだった。

レコードは返却された。それぞれが、うん、まあという感じの反応をした。

しばらくして、ルーツがアメリカでアルバムをリリースした。友人たちの反応は一変した。ルーツ、いいじゃん、と。

アメリカはブランドだなと思った。

ジャイルス・ピーターソンのTalkin’ Loudが扱うアルバムは、全てがあたりだった。

イギリスのバンド、アーバン・スピーシーズもそうだ。ラップもあるので、皆にも紹介した。ルーツと似たような反応だった。

後に、アーバン・スピーシーズはアメリカでは人気になったらしい。どのくらいの規模の人気かはわからない。東海岸に渡った友人の一人は、アーバン・スピーシーズ、かっこいい、好き、と言った。

情報は上から下へ流れる。フラットはない。

権威があるものの発信は、事実と価値に変わるのである。

権威という刻印(一/全二回)

The Roots(以降、ルーツ)が来日している。

初来日の年を検索すると、1997年とある。私は一人で見に行った。一緒に行く人がいなかったのだ。

友人たちはアメリカが大好きで、バンドによるヒップホップが受け入れられなかった。一方、バンドの音楽が好きな友人たちは、ヒップホップが受け入れられなかった。当時はそういう時代だった。ファッションでヒップホップが好きだった友人は、最初から誘うリストには入っていなかった。

似たような理由で、誰もライヴに誘えない場合が多く、一人でよく洋楽のライヴに行った。私はまだ学生だった。卒業後は、職場の人全員が、一緒に行ける対象だったので、困ることはなかったのだが。

学生時代、日本人のバンドのライヴを見る場合は、ライヴハウスやクラブに見に行けば、誰かしら知った人がいた。私は、あるバンドの手伝いをしていたこともあり、知り合いが多かった。

ルーツを見た渋谷のオンエアイーストにも、よく知るミュージシャンたちがいた。会場には、いかにもバンドマンという雰囲気の人たちがとても多く、私のように、日に焼いた肌で、大きな輪っかのピアスをしている女はいなかった。

その後、ルーツのライヴは何度も見ることになる。

しかし、いかにも「イヤイヤジャパンでライヴをやっています」という空気が漂う、「The ご商売」を感じたライヴを最後に、心が離れた。もちろん、稼業である以上、商売なのは当たり前だ。それでも、あまりにもイヤイヤそうで、一緒に行った全員が不愉快な気分になってしまった。

もちろん、クエスト・ラヴが素晴らしいドラマーであり、アーティストであり、そして、おそらく有能なビジネスマンであろうことはわかる。

 

竹かごを出た菜っ葉

私の食事に小松菜が欠かせない。毎日300グラムの野菜を摂るが、今はその大半を小松菜が占めている。

この野菜を口にするようになったのは、30数年前のことだ。それまで、私にとって小松菜はメジロの餌だった。

実家には、東日本大震災の翌年ごろまで、常にメジロがいた。竹かごに入れ、姿と鳴き声を愛でる。逃がしたり、逃げられたり、また買ったり、あるいは捕らえたりした。かごの中の代が変わっても、メジロのいる生活はそこにあった。

主食はすり餌である。父の郷里で、祖父がやっていた方法を父が引き継ぎ、私たちも当たり前のように手を動かした。普段は水だけを混ぜていたが、余裕のある時は、メジロのために育てていたベランダのプランターから、小松菜の若芽を摘んですり鉢でこぎ、その汁をすり餌に混ぜていた。私が小松菜を主食として口にするようになってからは、冷蔵庫から。ごちそうを与える時は、ゆで卵の黄身をティッシュに挟んで油分を取り、すり餌に加えた。時々のおやつには、浄土真宗の僧侶をやりながら養蜂もやっていた祖父のお弟子さんが作るはちみつを、水にとかしてやっていた。

30数年前、歯科衛生士の知人から、ほうれん草を控えるよう言われた。歯の裏に汚れがつきやすく、結石の原因にもなるという話だった。ほうれん草は、もともと好物ではなかったため、食べるのをやめた。同時期に、小松菜を主食にという考え方に出合い、母親には小松菜をリクエストした。

お皿の上の緑を見て、メジロの餌だと思った。家族全員が、メジロの餌だと言った。

かつてすり鉢ですり潰していたものを、自分の口に入れている。メジロのための栄養を、自分の血肉に変えている。祖父から父へ、そして私たちへと作業として引き継がれたメジロの青菜は、30年以上の時を経て、私の体を動かす燃料の一つになった。

消える前に

思い出した考えや用事は、書き留めないと消える。

私の初めてのおつかいは、大人の足で数分の場所にある、小さな商店街の八百屋にきゅうりを買いに行くことだった。三つか四つの頃だ。買い物かごをさげて。

すでに字を読める年だったが、母は「八百屋さんに行って、このお金を渡して、きゅうりを買ってきて」と言っただけで、メモは持たせなかった。「きゅうりきゅうり」と、八百屋につくまで、声に出していたことを覚えている。

何かをひらめいたり、思い出したりしても、メモがとれないとき、今でもあの時のように「きゅうりきゅうり」と呪文のように唱えたくなる。

傘を片手にした日。シャワーや入浴中。端末の画面にも、紙にも触れられない時間がある。雨をしのぐ軒先を探す間に、言葉は形を失う。流れた思考はどこへ行くのか。思い出したという事実すら、記憶から抜け落ちる。

極力取りこぼさないようにしようと、いつの日からか、付箋で対応することにしている。付箋はこだわりがなく、どこででも買えるものだ。バッグのポケットにも、自宅のありとあらゆる場所にも、付箋とペンを忍ばせている。

ひらめき、良い表現、いつものノートに書いていなかった用事、誰かの誕生日、生活用品の在庫。何かあったら書く。

スマートフォンは、指紋認証やパスコードによる解錠を強いる。ノートや帳面は、開くひと手間がある。その数秒の間に、思いついたことや思ったことが消える。

付箋だと、すぐに書ける。

文字になった用事は、物理的な行動へ直結する。書き留めたひらめきは、形のない状態から、ものを作るための素材に変わる。

自分の内に生まれたものを、取りこぼさずに紙へ移すのである。

塩だけで、しみる

私の場合、口にする食材が限られている。味付けは海塩か岩塩だけ、という場合が多い。外食を除き、胡椒も使わない。

昔、市ヶ谷左内町のビストロを友人が予約してくれたことがある。今ほど食事のルールは厳密ではなかったが、哺乳類の肉やほうれん草、キャベツ、芋類を食べない旨を、あらかじめ伝えてもらった。 

到着すると、名物のマダムが言った。「限られたもので作るのは、クリエイティヴなんですよ」。その言葉は、今も覚えている。

お店は、今はもうない。

10年前、潰瘍性大腸炎(以降、UC)の再燃で長期入院した。15歳で発症して以来、初めての再燃だった。

点滴と絶食のあと、脂質を抑えた刻み食が続いた。院内にあったレシピ本や食のエッセイを読みながら、次に自分が口にできそうな食材を探し、退院後の食事を考えた。

ノートには、パスタのレシピが並ぶ。小松菜や水菜を中心に、ソースを変えた料理を考え、絵まで添えていた。

毎日ひもじかった。食べることへの欲求で、頭がいっぱいだった。

今は、使える食材が少ないことを、それほど不自由には思わない。

タイ料理の刺激が恋しくなり、暑くなると必ずやってしまうことがある。使い切りのチリソースを買うのだが、体内に入れると、UCの合併症が出る。やめよう、と決めるが、また翌年にやってしまう。

どうしても食べたければ、外で、人と一緒に食べればいいのである。香辛料は、人と人をつなぐ橋渡しのような役目を果たしているのだから。

家では、塩でいい。

適当に決めていた塩加減にも、どうやら根拠があるらしい。勝間和代さんが提唱する、調理するときの塩分量は、私が適当に入れてきた量とだいたい重なっている。

とはいえ、私の料理を食べたことのある身近な人は、「パンチがない」「味気ない」と言う。それでも、自分で決める塩加減には満足している。

塩だけの味付けが、しみるのである。

棚の先入観

今年の夏は体力を温存するため、日課である5キロの歩行のペースを落としている。多忙も重なっている。

ウォーキングは、生活の中に組み込んでいる。その昔、ミレイユ・ジュリアーノ著『フランス人はなぜ好きなものを食べて太らないのか』(日経BP/日本経済新聞出版)を読んだことも大きい。フランス人はこまめに歩くという。家で仕事をする人たちからは、「どうやったらそんなに歩けるのか」と聞かれることがある。

私の場合は、単に、小松菜を安く手に入れるために歩くのである。町を歩き回って品定めをしていれば、歩数は稼げる。

食材を買う店は、八百屋2店を含めて11軒ある。もちろん、一日にすべてを回るわけではない。魚介、バター、ヨーグルト、木の実など、買うものによって店を使い分ける。野菜は、その日の値段と品物を見る。鳥肉の入手方法については、いつか書きたい。

頭の中には、食材と店を結ぶ地図がある。

その中には、世間で高級と呼ばれるスーパーも入っている。高いからと素通りする人もいるが、棚を見ないのはもったいない。

私は海塩を買うとき、平釜で作られたものを選ぶ。この条件で探すと、ある高級スーパーで扱っている商品が選択肢に入る。パルメザンチーズもそうだ。塩だけで加工した鮭の瓶詰め、魚のアラ、ぶどう油、高タンパクのパスタも、ここが町で一番お得だ。私が、パスタを選ぶ基準は、タンパク質の量である。

刺身は、もう一つの高級スーパーが、安いことがある。魚屋発祥で有名なスーパーよりもである。それから、私の基準に合う卵が安く売られている。夕方になると、農家から届いた野菜に値引きの札がつく。今年の夏はあまり見かけないが、通常は、ここで小松菜を買う。八百屋よりも、全国最大規模系列のスーパーより安く、味が濃い。

東京で生まれ育ってきたので、この二つの高級スーパーの変遷も見てきた。一つは、都市部から離れた学園町で生まれた商店である。私が学生の頃は、まだその名残があった。もう一つは、庶民の憧れかのように打ち出された「文化生活」の象徴、団地などの集合住宅の一角に店を構えていた。

店の看板と、棚の値段は別物なのである。

太陽礼拝のポーズだけの日

ヨガとストレッチは、毎日やる。20年くらいやっている。 

朝、掃除が終わった後、ヨガマットを敷く。塩水と、梅干し入りの緑茶だけを体にいれた状態で行う。太陽礼拝のポーズだけの日もある。

数分でもいろいろできる。短いようでいて、体を動かしてみると、意外と充実している。そして、時間があるなら、もっとやっていたい。15分でも30分でも。その後に、マッサージができたら最高である。

私は、あおむけになり、両手をグーに握り、背中に手を入れ、背骨の両側を、届くところまで、ぐりぐりと刺激するのが大好き。周りに聞いても、意外と皆、これをやっていて、気持がよくて、止まらないという。お金をだして人にやってもらうよりも満足すると。これを、毎日できたら幸せというのではないだろうか。

以前、ジェニファー・ロペス(J.Lo)がヨガマットの上で体を動かしている映像を見たことがある。アレックス・ロドリゲスと交際していた頃だ。実業家でもある彼女は、ヨガウェアのブランドに関わっていた。

その映像で、J.Loは、難しいポーズを次々と決めていたわけではなかった。体の表面と裏面を、まんべんなく動かしているように見えた。撮影用だったのかもしれないし、実際の運動の一部だったのかもしれないが。

ヨガというと、教室へ行き、決められた時間の中で一連のポーズをするもののように考えてしまう。でも家なら、往復の時間もないし、着替えの時間もないし、周りの皆さんに合わせなくてよい。ある程度通った人だったら、できることである。

片岡鶴太郎は夜の11時に起き、ヨガを始めるという。からだに時間をかけられることへの、ある種の憧れはある。

私は、その身分ではないから、時間はかけられない。それでも、からだが動くうちは、1ポーズだけでもよいので、動かしていく。

大人の事情、タンパク質の値段

今年に入って、アメリカの保健当局が「Eat Real Food(本物の食べ物を食べよう)」という食の指針を打ち出しているのを知った。炭水化物や加工食品に偏らず、タンパク質や野菜を中心にという内容だ。

私の食事ルールと合致しているかはさておき、人類が、タンパク質を追い求めて生きてきたことを思えば、理解できる。

スーパーの棚に並べられている食品は、人間の栄養摂取のためではなく、企業のために存在する。海外から入ってくる食材にも、国同士の事情がある。その中から、生き延びるための栄養を買うには、それなりの用意が要る。私の場合は、食材を買うとき、タンパク質100グラムあたりの値段を考える。

世間では、大豆製品がタンパク源だともてはやされているが、私は、大豆製品を贅沢品だと思っている。もし、なんでも食べられるからだであったなら、牛や豚といった栄養価の高い哺乳類の肉、チーズを買う。そのほうが、タンパク質の量と値段を比べたとき、安い場合があるからだ。

パスタもそうだ。デュラムセモリナ粉は、米よりもタンパク質の含有量が高い。炭水化物、と一括りにしていると、栄養が見えづらい。

栄養については、文部科学省の「食品成分データベース」で見ることが多い。検索してもいいけど、たいてい国が発表した数字をもとにしている。

私は、水を飲み、塩分やタンパク質、決めた野菜を摂るというルールを続けている。陸の哺乳類の肉は口にしない。だが、見返りはある。食事の内容を変え、塩分やタンパク質を多めにしてから、十代前半以降の日中の強い眠気にも変化があった。

かつての私がそうだったように、心身が満たされていないとき、人は酩酊を求める。酒を飲み、その酔いを共有するために誰かと一緒にいたがる。それから、人によっては糖質。私はお酒をほとんど飲まないが、小麦粉製品に走ることがある。タンパク質が足りていない時に多い。

人間は、栄養と睡眠、そして排泄が確保されていると、穏やかになるのではないか。

食は大切なのである。

ネクラの食卓と菜っ葉

社会との接点について、考えることがある。

ここでいう社会とは、仕事で関わる人や、親しい友人や仲間、家族のことではない。いわゆる世間一般と呼ばれるもののことだ。

人々を観察していると、どんなにマニアックな趣味を持っていても、浮世離れしていても、大衆との接点があるだけで、普通の人に見える。ラーメンが好きだとか、人気の芸能人に詳しいとか、そういうものだ。あと飲酒するかどうか。私には、何があるだろう。

ラーメンは、牛肉も豚肉も食べないので、口にすることはない。たまに中華麺を買い、鶏から取ったスープで食べることはあるが、数年に1回くらいだ。世間のラーメンブームとは、縁がない。柚木麻子の『BUTTER』に出てくる「バターましまし」なラーメンも、私流に作ってはみたいが、この話、わかってくれる方いるだろうか。

細木数子がテレビに出なくなってから、NHKしか見る用事がなくなり、テレビ離れが始まった。それ以降に出てきたらしい芸能人は、ヤフーニュースの見出しにある、名前という文字でしかわからなくなっている。

私が子どもの頃からいろいろ言われていた人だった。しかし、核家族で育った私には、知恵のある、まともな年配者にしか感じなかった。何がよかったかといえば、料理だった。手つきを見れば、普段からやっている人だとわかった。細木数子が出ている番組は、おもしろかった。

テレビの世界には台本があることは、それ以前から聞いていた。

音楽はヒップホップを軸に、過去を振り向くかたちになっている。昔、聞いていたものを聞いている。新しいものは、デトロイトの人たちしか追いかけていない。偏っている。その前に、ヒップホップは主流になったようで、そうではない。

映画は、女優さんの美しい発音の日本語が聞ける昔の映画や、単館系と呼ばれていたような作品を選ぶことが多い。本は、世間で話題の自己啓発本は、資料以外では手に取らない。私が読むものは、社会科学や人文科学、小説だ。

スーパーで買える、私が食べられる素材の加工品や、日用品でも、「いい」と思ったものは、廃番になったり、店頭から消えたりする。買う人が、少ないのだろう。

その上、偏食だ。陸にいる哺乳類の肉は食べない。米を食べるのは、年に数回。いつも食べるものは、キャベツを除くアブラナ科の菜っ葉、鶏、魚介、乳製品、大豆製品、木の実である。

緑茶とコーヒーは毎日飲むが、自分だけのこだわりがあるだけで、人に言うようなものでもない。お酒はほぼ飲まない。10年以上前に、考えがあってやめた。

ここまで考えて、気がついたことがある。私にも、世間との接点があった。

小松菜である。アブラナ科の菜っ葉だ。

小松菜なら、たいていのスーパーにある。「小松菜をよく食べる」と言えば、誰にでも通じる。プライベートの世界では、「小松菜の人」と認識されてはいる。

小松菜はぬか漬けにしたり、「公園の父」といわれる本多静六にならいホルモン漬けにしたりする。鶏や魚介と炒めることも時々ある。

昔、ジャズが好きなタモリが「ネクラ」という言葉を使っていた。ジャズとタモリとネクラ。この三つは、私の中では、しっくりくる。ラーメンを食べ歩かなくても、芸能人を知らなくても、非主流派も生きていける。

そして私には、小松菜がある。

十年前の刻み食と、最古の祈り(二/全二回)

十年前の刻み食と、最古の祈り(一/全二回)からの続きです。

入院する何年か前、イギリスの進化人類学者ロビン・ダンバーについて書かれた何かのアートか科学の記事で、「女性の最古の職業はシャーマンだった」という説を読んだ。その時は、「女性の最古の職業は売春婦」ではないのだな、と思った程度だった。

ところが、入院して、いつも食べ物のことを考える日々を送っているうちに、その話が腑に落ちた。

食を得られるかどうかは、天候に大きく左右される。現代ですらそうだ。大昔の人々なら、生きるために必死で祈ったはずである。その祈りを司る人が特別扱いされたとしても、不思議ではない。食べられなければ、何も始まらない。

そんなことを考えていた私は、飢えた身体で、今度は「何かを作りたい」という欲求をノートにぶつけていた。絵を描いていた。これも、食の次に出てきた欲だったのかもしれない。

そして、身体が元気になってくると、もう一つの欲が出てきた。

噛みたかった。

刻み食をありがたくいただきながら、歯と顎は別のものを欲しはじめた。レタスが食べたい。わかめを噛み締めたい。この時に、自分はレタスが好きだということに気がついた。

退院が決まってから、院内のリハビリに通った。筋力は80代よりもないと言われた。身の回りのお世話をしてくださる職員の方からは、「退院してからがスタートですよ」と声をかけられた。

その言葉の本当の意味がわかったのは、家に着いてからだった。病院では車いすで移動していた人間が、これからは自分の足で歩かなければならない。

帰宅する前から、母にはレタスとわかめを用意しておいてほしいと頼んでいた。やめたほうがいいんじゃないの、と言われたが、どうしても食べたかった。退院した日だったか、そのすぐ後だったかは、もう覚えていない。

ボウル一杯のレタスとわかめ。何をかけて食べたのかも覚えていない。シャキシャキ、ザクザクと、音がした。自分の歯で葉を噛み切り、顎を動かして、レタスとわかめを噛み締める。刻み食にするのは自分の顎と歯である。本当においしかった。

今も、小松菜や水菜を中心にしながら、レタス類も食べている。

食べ物には、味や栄養だけではないものがあるのだと思う。歯を使う。顎を動かす。葉や海藻を噛み切る。口の中で小さくして、飲み込む。

ボウル一杯の葉野菜を噛む時、噛めるうちは、噛んでいたいと思うのだった。

十年前の刻み食と、最古の祈り(一/全二回)

私は毎日、葉野菜をたくさん食べる。その中でも、アブラナ科の小松菜や水菜をよく選ぶ。本当に空腹のときにいただく野菜は、おいしい。とはいえ、それらは好物ではない。好きなのはレタス類だ。

10年前、潰瘍性大腸炎(UC)が再燃し、45日間入院した。

前半を過ごした地元の病院では、消化がよいとされる、とろみのついた甘い入院食が出ていた。私は15歳でUCを発症した少し後から、ときどき身体におかしな症状が出るようになっていた。自分なりの対処法を編み出し、長いことそれでしのいでいたが、この入院中にも頻繁に起きた。食事が原因であることは明らかだった。退院後に検査を受け、のちに反応性低血糖症だとわかった。

入院中、栄養士さんに会ったとき、食事をどうにかできないかと尋ねた。しかし、予算内に収めることが一番大切なのです、とずばり言われた。患者の体調は考えないのですかと聞いたら、無言になってしまった。

職務としては極めて正しくやっているから、仕事ができる人だ。優秀だ。私が食べない哺乳類の肉を避けてくれていたことだけは救いだった。

後半に転院した大学病院では、食事が一転した。流動食の期間を経て出されたのは、パンと、何もかもが細かく刻まれた「刻み食」だった。

お膳が運ばれてくるたび、私は感動した。とにかくおいしく、美しい。そして、食べられるものが限られている私のために、これほど気を配ってもらえる。そのこともありがたく、食事について書くメモには、いつも「ありがとうございました」と書き添えた。

退院間際、栄養士さんが言った。私たちも工夫して作ることがすごく楽しかったです、と。食べられないものが多い、めんどうな患者の食事を毎日用意するのは、どれほど手がかかり、大変だったことか。

転院して2日目には症状も落ち着いていた。入院中、私は、手書きで記録をつけていた。何時何分に誰がベッドに来たか。職員さん、看護師さん、先生。そのときの気持ち。すべてをボールペンで書き残した。

妹の勧めでもあった。それに当時は、携帯端末につなぐと心臓がドキーンとして、身体がおかしくなることがあった。手書きは正解だった。

入院中は、いつもひもじかった。頭の中は食べ物のことばかりだった。

のちに、坂本龍一が、最初の入院中、食べることばかりを考えていたと何かで読んだ覚えがある。病の種類も状況も違う。それでも、食べることを制限された人間の頭が食べ物でいっぱいになることには、よくわかるところがあった。

人は、食べなければ始まらない。


【お知らせ】2026年8月25日午前8時18分更新しました。

知の平等と、言葉の覇権(二/全二回)

知の平等と、言葉の覇権(一/全二回)からの続きです。

8年前、Google Books Ngram Viewerを知ったとき、思ったことがあった。

国会図書館のある国であること。その国会図書館がオンラインの利用手続きを受け付けていること。端末を持っているか、持っていなくても利用できる場所、たとえば公共図書館やインターネットカフェなどに行けること。そして、端末を使いこなせること。前提はある。

世の中のすべての書物がデータ化される日が来るのだとすれば、人間社会はいくらか平等に近づくのではないか、と私は考えた。平等とは、フラットな世界ではない。情報はいつの時代も、上から下へとしか流れない。下にいる者は取りに行くしかない。でも、取りに行くには、足かお金が必要だ。両方の場合もある。

デジタル化された書物にアクセスできるならば、足やお金に頼らず、到達できる。足かお金を使わないことが、ここでの平等だ。繰り返すが、情報は上から下へ流れる。ウェブの情報の大元をたどれば、結局は記録物、つまり図書館に行き着く。

実際のNgramには、いまだに日本語が入っていない。英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語、ヘブライ語など、他の多くの言語は対応しているのに、日本語はない。企業秘密だから知る必要もないし、ユーザーには関係のない話だと言われれば、それまでかもしれない。

でも、これは大きな話だと思う。日本語という言語がそこに含まれていないということは、AIの思考の根本が、対応している主要言語、つまり、西洋と中国の思想や価値観に強く引っ張られていくのではないか、という懸念がある。

出版社を退職してからの私は、AIプロジェクトの裏側に関わっている。10年以上になる。海外の大手テック企業の下請け仕事では、募集要項に「Linguistics(言語学)の学位」が書かれているのを何度も見てきた。私にその学位はない。そして、Pythonすらも書けない。

できることが限られる中、活字の業界にいた者として、AIという言葉が市民権を得る前に、その現場に潜り込み、さまざまな仕事をしてきた。今、多くの人が名前を知っている生成AIが、世の中に姿を現す前からのことだ。

そこで見えてきたのは、言葉と、その言葉が背負っている思想の、目には見えない引っ張り合いだ。

ただ、これで終わりというわけでもないらしい。

この度、知ったのだが、国立国会図書館が2022年、独自に「NDL Ngram Viewer」という日本語版を公開していた。公開当初は、著作権保護期間が終わった図書資料、約28万点分のテキストを使った実験サービスだったという。

Googleの巨大な仕組みの外側で、地道にデータを積み上げていた場所が、きちんとあったのだ。この作業の始まりから公開までに関わった方々には感謝しかない。

国会図書館は、やはり国の知を守る場所なのだと思う。

 

Google Ngram Viewer:
https://books.google.com/ngrams

NDL Ngram Viewer:
https://lab.ndl.go.jp/ngramviewer/

 

【お知らせ】2026年8月24日午後9時7分に更新しました。

知の平等と、言葉の覇権(一/全二回)

先日、あるニュースが話題になっていた。AI企業が、古い書物を大量に買い集め、スキャンして学習データにしているという記事だ。

世間は驚いていたようだが、私は、「そうかそうか」という気持ちだった。

実は、私のところにも似た仕事のオファーが、過去に2回来たことがある。古書や希少本をスキャンして学習データにする、という内容だった。結局、どちらも立ち消えになったが、彼らはとっくに嗅ぎつけていたのだと思う。本当に価値のある知は、インターネットの表面にはなく、神保町や、全国の昔ながらの古書店の棚に眠っていることを。

Geminiに向かって、「神保町の古本、全部買い漁ってスキャンして学習しなさいよ」と、怒っていたことがある。まだBardと呼ばれていた頃だったかもしれない。

このニュースを読んで、あるものを思い出した。下書きに戻した古いブログの投稿を探してみると、出てきた。2018年12月2日にミネルヴァ書房の『はじめて学ぶ方言学』を紹介していた。

当時の私は「ヤポネシアゲノム」という研究チームのプロジェクトに夢中で、参加している先生方の本を片っ端から読み漁っていた。今でも、斎藤成也先生をはじめとする、ほかの先生方の新刊を心待ちにしている。

読んだ中の一冊、木部暢子先生らの編著書で出会ったのが、「Google Book Ngram Viewer」だった。西暦1500年代から現在までの、言葉の流行りすたりをグラフで見られる機能だ。

西暦1500年代からという区切りを見るたび、私はグーテンベルクの活版印刷を思う。人間の言葉が大量に複製され、「記録」として積み重なっていく時代の始まりと、どこか重なって見える。

言語学という学問への薄い関心は、もっと昔からあった。受験生の頃に通っていた新宿にある塾の先生が、東京教育大学でそれを修めた人だった。先生は、英語をユーモアたっぷりに教える天才で、英語表現を日本語に置き換える独特の覚え方は、いつの間にか他の予備校でも使われるほど広まっていた。インターネットで検索すると、今も現役で教えられているようでうれしい。

Google Ngram Viewer:
https://books.google.com/ngrams

 

【お知らせ】2026年8月24日午後9時3分に更新しました。

縮める、選ぶ、渡す

ブログを再開してから、Xも2年ぶりに復活し、8月9日からは、投稿の紹介をするようになった。

記事を公開したら、URLを貼って終わり、というわけにはいかない。まず、その日の投稿をどう紹介するかを考える。長く書いた文章を、ほんの数行に縮める。

この作業では、AIの手を借りることもある。原稿を渡して、X用の短い文章を作ってもらう。だが、結局、一から自分で書き始めてしまう。AIには新聞の短信的な要約をしてもらいたいのだが、なかなか伝わらない。

朝日新聞が、自動要約生成API「TSUNA」という、すばらしいサーヴィスを提供している。商用利用はできないため、このブログ関連では控えている。

投稿の紹介をする前には、Googleアラートを見る。

最近、Xで紹介する情報を探すために新しく設定したキーワードもあるが、Googleアラート自体は何年も前から使っている。潰瘍性大腸炎(UC)、黒人文学、それから、未来について考えてきた人たちにまつわる言葉などを登録している。

私は、肩書や専門分野とは関係なく、その後の社会や技術、暮らしを考えるうえで気になる人たちを、勝手に「未来学者」とカテゴライズしている。アルヴィン・トフラー、アラン・チューリング、マーシャル・マクルーハン、レイ・カーツワイルなどだ。

今回、リストを見て、この顔ぶれの中では若手のユヴァル・ノア・ハラリも加えた。

届いたアラートをすべて読むわけではない。まず見出しを確認し、気になるものがあれば読む。その中から、人にも知らせたいと思ったものがあれば選ぶ。こちらはコメントをつけず、そのまま投稿することにしている。

外から見れば、ブログの記事を一つ紹介し、気になった情報をいくつか流しているだけだ。

ある日は、その作業に25分かかった。毎日どのくらい時間を使っているのだろうと思い、時間を記録しているToggl Trackを確認してみた。

だいたい30分前後だった。たった数本を投稿するための時間である。

自分が書いたものから何を残すか。届いた情報から何を読むか。そして、その中から何を人に渡すかを決める。

小さな編集作業である。

食卓を小さくした夏

私は偏食である。ただし、この偏食も何十年もかけて作ってきたものだ。

毎日水を4リットル以上飲み、海塩をたっぷりとる。アブラナ科の葉野菜を中心に野菜を300g以上、タンパク質を50g以上とり、陸生哺乳類の肉は、外食でエキスとして口にする以外は食べない。細かいルールはほかにもある。 

試行錯誤しながら調理するのも楽しく、それが人生になっているところはあるのだが、この夏は多忙で、栄養をとることだけを考えて過ごしている。

行き着いたのは、一日一食と生乳ヨーグルトだ。夜の一食だけはしっかり食べ、それ以外の時間は生乳ヨーグルトで過ごす。

15歳から罹患している潰瘍性大腸炎(UC)とは別に、合わないものを食べると腹痛が起きることがあるが、生乳ヨーグルトは大丈夫だ。バターとチーズの次に馴染んでいる乳製品であり、どこにでも売っている。それに、歯磨きも歯ブラシだけで済む。 

それから、砂糖を摂らない私にとっては、甘みを感じられる食べ物でもある。400gパックを一日に二つ平らげる日もある。これだけで、毎日の生活は軽やかになった。火を使う調理は夜の一回で済む。生乳ヨーグルトは、出先でも簡単に手に入り、ちょっとしたスペースさえあれば食べられる。

調理の手間を省く工夫は他にもある。鶏ひき肉や貝はすぐに火が通る。それから、刺身もいい。小松菜は、細かく切って、あらかじめ塩をふっておいて、食べる直前に洗うだけ。ほかの野菜は、ぬか床に放り込んでおけば、それだけで一品にもなる。油は、たっぷりかける。そして、チーズを添える。ピータンのこともある。

時間が生まれた。

おやつには、家にいる限りは、バターを食べる。これは30年以上前からの習慣だ。今は、一日90gほどをとる。

この忙しい時期を抜けたら、また大好きなパスタを茹でる日々に戻るだろう。だが、究極まで削ぎ落としたこの食生活の中で、気づいたことがある。

人間は、必要な栄養さえ過不足なく満たされていれば、だいたいのことは満足できるようにできているのではないか。世の中の人がみな、十分な栄養と睡眠をとれていれば、世界はもっと平和に回る気がしてならない。

UCの私の場合は、タンパク質を70〜75gをとると力がみなぎる。食べる回数を減らし、中身をミニマムに絞り込んでも、この必要量だけは割らないようにしている。

一年後に効く一言

話したところで、今の迷いや戸惑いは伝わらないだろうと、自分の内側にだけしまってしまうことは誰にでもあると思う。私の場合は、毎朝の手書き日記にぐちぐちと書くが、解決できないことも多い。

人さまの仕事でのやり取り、画面の向こうで行き交うモヤモヤ、同じ場にいない人に説明することは難しいし、人に話したところで、いやな気持が2倍くらいにふくらむこともあるだろうし、守秘義務があって、どんなに近しい人にも話せない場合もある。

しかし、そんな話を、いつもの友達ではない人にしてみるのも悪くない。

たとえば、友達の友達くらいの関係の人に、流れでその話をすると、いい意見が聞けることがある。初対面のわりに失礼な本音である。

それから、飲酒をほぼしないが、酒場には行くので、いろいろ話が聞ける。

親しい人たちが集まる、その場にいたある職人気質の年配の中小企業経営者の男性に、以前、変な会社に関わろうとしていた時期の話をしたことがある。その人は、ひとこと、「その出だしが変なら、もう変だよ」と言った。それだけだった。だが、後になって振り返れば、まさにその通りだった。

あとは、今のようなデジタルでのやり取りが当たり前になった働き方を知らない世代の人たちだ。子どもの頃から知っている小母さんや、我が親もそうである。

我々団塊ジュニア世代は、もちろんそうではない時代も知っているからこそ、モヤモヤや怒りが生まれる。でも、少し話すと、「今はそういう時代かもしれないけれど、それはおかしい」と言ってくれることがある。それから「あなたが考えていることとは別の理由で、それが起きているのでは」と、同世代前後の近しい人たちとは異なる視点から一言をもらうこともある。

そのときの、非礼、同調、違う見方。話したときは、状況平行線であっても、一週間、一年、数年たって、その一言がようやく効いてくることがある。そして、 行動移せることがある。

ピントの合う場所

中学生のころから視力が落ち始めた。父の血を受け継いだのだろう。

めがねを買うことになった。

当時のめがねは、高価だった。消費税がなかった時代である。近視と乱視の入ったレンズとフレームで、7万円近くしたはずだ。ただでさえ高いのに、アランミクリのような、ファッション誌に出てくる高級メーカーのものを親にねだれるわけがない。近所のめがね屋でこしらえためがねは、全くかわいくなかった。

めがねをかけるとよく見えるが、学校ではなるべくかけないようにしていた。かわいくないものをかけるのは恥ずかしかった。しかし、黒板を見る時などに、どうしてもめがねが必要になる場面があった。

20代からはソフトコンタクトレンズを使うようになった。目にアレルギーが出やすいため、使い捨てのものに変えた。視力はみるみる落ちていき、30代に入る頃には、0.1を切っていたと思う。コンタクトも高かった。

私の半生は、めがねやコンタクトレンズという、見えるための道具と常に隣り合わせだった。

一方で、世の中には、ずっと視力がいい、という人たちがたくさんいる。ところが、そんな彼らも40代半ばを過ぎたあたりから、「見えない、見えない」と騒ぎ始めた。40代のうちに老眼鏡を手に入れる人いる。

今や見事に、周りの皆が老眼鏡を持っている。おもしろいなあと思って観察していると、これまでめがねに無縁だった人ほど、ちょっと自慢げにかける。おしゃれで立派なケースから、ぎょうぎょうしく取り出し、知的な自分に酔っているような仕草を見せる人もいる。

私自身は、3、4年前から手元が怪しくなってきた。それでも、これまで通り、使い捨てコンタクトと、近視と乱視のめがねの併用でやり過ごしていた。

しかし、昨年の夏のある日。ガクンと来た。

本当に、ピントが合わなくなってしまった。日銭を稼ぐための仕事の画面がぼやけ、はっきりと支障が出始めた。これはまずい。すぐ、チェーン店のめがね屋に駆け込んだ。

店頭で20個ほどのフレームをかけさせてもらい、一番しっくりくるものを選んだ。裸眼用と、コンタクトレンズ用の2種類の老眼鏡を買った。

快適になった。

裸眼用の老眼鏡は、手元から視線を外すたびに、いちいちかけ直したり外したりしなければならない。でも、見えれば、それでいい。

くっきりと文字を追えるだけで、ストレスが一つ減った。

十年後に話す

昔からの持論がある。自分にとってのいい話は、起きてすぐに人にしないほうがいい、ということだ。

ここでの、いい話というのは、有形無形の資産につながる何か。あるいは、資産そのもの。それから、お金では買えない、重みのあるものごとである。

世間では「悪い話はしないほうがいい」とよく言われる。でも、経験上、それよりずっと上位にくるのが、「いい話をしないほうがいい」である。

自分の人生を振り返っても、周りを見渡しても、同じ結論に行き着く。うっかり口にしたことで、痛い目を見る。子どもの頃から、自分のことをあまり話さずに生きてきた私ですらそういうことが起こる。

周りのプチ成功者にも、うまくいっている話やいい話ほど、他言しないと言っている人たちがいる。亡くなった人からも、同じ話を聞いた。

人生経験を積むと、結局、同じところにたどり着くものらしい。それは、成功者とされている人でも、普通の人でも変わらない。 

一定数の人は、マウントを取りにくる。子どもの頃からの性格で、悪気はないのかもしれないが、結果としてそうなる。

厄介なのは、どこか似たものを持っている人だ。同じではない、少し形が違う。そして、その少しの隙間に、嫉妬や羨望が滑り込んでくる。せっかくのいい話が、口にした途端、比較や値踏みの材料に変わる。

最近、湊かなえさんの『境遇』を読んだ。人と人との距離について考えてしまった。

伏せるというのは、楽なことばかりでもない。相手が、自分のことをどこか下だと思いながら話してくることがある。そういう時、こちらは黙って聞く。

いいことというのは、10年くらい経って、まだ続いていれば、本当にそうだったということになる。だとしたら、そのときに話せばいい。

今はどんなことでもSNSに載せる時代だ。人のマウントも可視化され、追いかけやすくなった。誰が何に反応するのかも、昔よりよく見える。

もっとも、私自身は、SNSを積極的にやる余裕もなければ、友達にたまにコメントする程度である。

原稿を書いて、台帳を開く(二/全二回)

原稿を書いて、台帳を開く(一/全二回)からの続きです。

この管理台帳への記入を一日怠ると、翌日が大変になる。一瞬の面倒くささを避けたつけは、次の自分に回ってくる。無料ブログのサーヴィスであっても、データを手元に残しておくという点では同じだろう。

8年前、Google検索からのアクセスが激減し、以降は不定期投稿となり、5年前に一度は筆を置いた。今年7月に再開した際には、放置していたWordPressのアップデートや古いテーマの整理に、膨大な時間を使った。まだまだ掃除は必要である。

それでも今回は、掃除だけで終わらせず、日々の記録も同時に残している。何をいつ書き、どんなカテゴリーとタグをつけ、どこまで作業したのか。未来の自分が、もう一度、過去の自分の仕事を掘り起こさなくて済むようにするためだ。

思えば、サイトの勉強を始めた十数年前も、人付き合いに割く時間を削って、パソコンに向かっていた。集まりに出る時間を減らし、サイトを触り、ブログを書いた。付き合いの範囲はずいぶん狭くなった。周囲から見れば、たかがブログだったかもしれない。だが、書く以外のことも、たくさんあった。

今も同じである。

日々のログを残し、台帳を整え、バックアップを取る。これは、未来の自分への最低限の礼儀だと思っている。

現在、私は初稿作成と推敲以外の作業を、できるだけ自動化できないか、その道を模索している。しかし、理想とする環境への道のりは、まだ遠い。何を自動化できるのかを知るためには、まず自分でその作業を理解しなければならない。手を動かし、この手の分野の本ももっと読んで学ぶ必要がある。

ネット検索は、わからないことの答えを探すには便利だ。しかし、そもそも何を知らないのかを知るには、本のほうがいいと思う。

書くのも大変だ。そのうえ今日も、原稿を書き終えたら、台帳を開く。

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